見るなキタ━(゚∀゚)━!

トイレの「小」の方で流せるタイプの文章を書きます。そしてお前を許さない。

映画『ストレンジ・ワールド――異世界への招待状』

映画『ストレンジ・ワールド――異世界への招待状』見た。

扱ってるモチーフが好きそうだったから見たけど、はい。星1

 

あらすじ

高校生達数名と仲良しのバスの運転手のおじさんとどこかしらに向かう途中、近道しようとトンネルを通ろうとしたらバスジャックに合う。脅されてバスを走らせていると謎の影が。その影に運転手もバスジャックも殺されて、逃げるティーン・エイジャー。トンネルの横道にあった手記を見つけてなんかそいつを倒すヒントを見つけて倒して終わり。

 

感想(前置き)

好き嫌いと嫌いなものはどうしたら好きになれるかを語るのが物語作りの基本になるとピクサーさんが言ってるのでその手の感想です。よしなに。

 

感想

うーん、異界や異形と戦うティーン・エイジャーとしてテンプレの、勇気あるイケメンや輪に入れないヤンキー、元気なデブなどを取り揃えてなんとなく配置はしてるけどそれだけだった。

 

そもそも面白くないので、どうにかすると言ったら

  1. ちゃんと襲ってくるクリーチャーを見せる
  2. 約束や仲違いを描く

の2つがあれば基本的にはテンプレだろうが嫌いにはならないと思う。

 

1は「あれなに?」とバスの前に現れたクリーチャーを調べに行って襲いかかってくる時に一回も姿を見せない。けど一番金掛けるならここだろ!

ここですっげえ怖いクリーチャーを一発見せておけば、その後女の子が一人で死体の持つ車のキーを取りに行くシーンも「あんな怖いやつがいるトンネルを一人で行くなんてブルブル」ってなるわけよ。

多分クリーチャーに自信がないから見せないで人物のリアクションだけで魅せようとしたんだろうけど分かるからな。

 

2は、まあなんとなく仲間内が仲良しである描写はあるけど、このチームが抱えてる問題を最初に描かないと最後に一致団結するカタルシスがない。仲があんまり良くないけどこれから誕生日パーティがあるんだ、楽しみだけど雰囲気は悪いな。みたいなことを描いとけば死地から生き抜いた時にテンション上がるじゃん。前より仲良くなって約束の誕生日パーティも最高の一杯になる。

 

これがコアだと思うからこの2点さえあれば俺はそこそこ満足すると思う。

 

終わり

映画『クレヨンしんちゃん――激突!ラクガキングダムとほぼ四人の勇者』

映画『クレヨンしんちゃん――激突!ラクガキングダムとほぼ四人の勇者』見た。

クレしん映画としてはここ最近の中でダントツで面白い。引っかかる点もあるけど加点が多くて補って余りある凄み。星5!

 

あらすじ

子ども達の自由な落書きのエナジーで成り立っている空中都市「ラクガキンダム」。しかし今の子ども達はVRタブレットに夢中で落書きをせず、ラクガキンダムは滅亡の危機に瀕していた。ラクガキンダムの防衛大臣は自国を思うあまり、落書きをさせない大人を黙らせて子どもに無理やり落書きを描かせるという強硬手段にでる。

それはまずいと思ったお姫様が描いたものが実体化する秘宝「ミラクルクレヨン」を宮廷画家に渡し、これを地上の人間で唯一使える「勇者」に届けてラクガキンダムの未来を託すよう願う。

一方その頃地上では何も知らずにしんちゃんが愛しのななこおねーさんと食事の約束を取り付けて有頂天。

しかしそこにラクガキンダムの兵士たちが降り立ち春日部の大人を壁に閉じ込め、子どもたちを連れ去っていく。

ラクルクレヨンを託された宮廷画家はしんちゃんが伝説の勇者であることを知り、しんちゃんにクレヨンを渡し遠くへ逃がす。「再び春日部に戻ってきてこの町を奪還してくれ」と。

しんちゃんは遠く離れた地でミラクルクレヨンによって産まれた仲間たちと春日部を、ひいてはななこおねーさんを救うために歩いてゆく。

その道中で春日部のおばあちゃんちに行ったまま帰ってこないお母さんを探しに行きたいユウマ君と出会い、行動をともにし落書きたちと一緒に春日部へ向かう。

いよいよミラクルクレヨンを使った奪還作戦を開始。なんやかんやありつつほとんどの人間を救うことが出来、しんちゃんは大人たちから崇め奉られる。そしてしんちゃんのママ達が捕まっている最後の牙城ショッピングモールに出向こうとする。

しかしまだユウマくんの母親は見つかっておらず、ユウマは単独で母親を探しに行きその道中でラクガキンダムから地上に逃げ出したお姫様に会い勇者のもとへ連れてってとせがまられる。いなしつつなんとか母親を見つけるがミラクルクレヨンがないと母親を助けられないので途方に暮れる。

一方その頃、ショッピングモールでしんちゃんはお母さんを助けたあと、ミラクルクレヨンを落としてしまう。そのミラクルクレヨンを落書き仲間の一人であったぶりぶりざえもんが拾い、なんと敵と交渉して引き渡そうとする。

しかしその交渉場所でユウマとばったり出会い、彼の母親を助けるためにミラクルクレヨンをユウマに渡し、ぶりぶりざえもんは捕まってしまう。

お姫様はミラクルクレヨンを使えるので、ユウマの母親を助け出してくれるが代わりにクレヨンを使い切ってしまう。

仲間を失いながら敵軍と戦い勝利を手にしたしんちゃんだったが、落書きのエナジーを失ったラクガキンダムの城が春日部に落ちてくる。このままだと街が潰れてしまう。民衆はミラクルクレヨンでどうにかしろというが、ミラクルクレヨンが無くなったことを知り大バッシング。

そこに遭遇したお姫様がみんなで落書きをすれば城はまた浮くと言うが、落ちてくる城を目の前に全員逃げ出す。

かすかべ防衛隊や幾名かは勇気を振り絞って落書きを書こうとする。

しんちゃんは人波に流された広場で一人、消えかけているぶりぶりざえもんに会う。ぶりぶりざえもんが最期に良いことをしたことを知り、消えていった仲間のためにも落書きを書く決意をする。

運動場のライン引くやつで町をキャンバスに絵を描き始めるしんちゃん。

それを知ったユウマは町内放送使って住民に絵を描くのを手伝うように呼びかける。しかし自分の身が第一の住民たちは避難を完了しており今更命を懸けたくないという。それに怒ったユウマは「お前らしんのすけに助けてもらっておいて、自分たちは何もしないのかよ」と吠える。それを聞いた人たちは勇気を持って町に舞い戻りみんなで巨大な落書きを完成させ、城を再び浮遊させる。

全てが終わったあと、みんなは日常に帰っていき、しんちゃんはななこおねーさんと念願のお食事会をするのであった。

 

みたいな。

 

感想(前置き)

好き嫌いを知り、嫌いな物語はどうやったら好きになれるかを考える。それが物語を作る練習になるとピクサーちゃんが行ってました。そういう個人的な感想です。よしなに

 

感想

とにかくすごかった。久しぶりにすげえ行くところまで行ったなあって映画を見た感じ。

ものすごい大枠から話すと、ギャラクシー・クエストとかワンピースみたいな、愉快なオープニングで始まって仲間と因縁を作って置きながら後半でスケールクソデカくして一気に回収するというサイッコーの構成。やっぱ小さいスケールから街一つ巻き込むほどの大スケールになるって映画見ると「旅したなあ」「最初はたった一人の日常だったのに、遠くまで来たなあ」って感じがしてすげえテンション上がる。藤田作品とかもそうね。でも一番近いのはやっぱワンピースかな。ドレスローザ編の、最初はよく分からんトーナメントとかルフィがやってるし、玩具にされた街の人々の話とかやってんだけど最終的にはドフラミンゴの鳥かごを皆で協力して止めつつルフィが死闘で決めるっていう、あれが一番近い。本当後半めちゃくちゃアガる。最近の、特に漫画だとどうしても最初っからエンジン全開で行かないと読まれないからこういう構成なかなか見かけないんだけどやっぱカタルシスとか満足感が莫大。インド映画のPKとかも溜めて溜めて全回収って構成で面白いんだよね。

 

何から言葉にしていけばいいか…。

序盤はちょっと気になる点もあるので、逆にどこから俺のトルクがぐわっと上がったかって話だな。

やっぱり「どっちをとっても何かしらの痛みがある」という択が出てくると、覚悟や何を大事にしてるかという信念の話になってくるので燃える。

だからラクガキンダムの主要メンバー、首謀者の防衛大臣やお姫様が地上に降りてきて「散ってたものが集まり始める」あたりから段々燃えるね。

特にスイッチが入ったのは、ユウマくんがお姫様とあって「勇者の元へ連れて行ってください!」と圧されてる時に母親を発見。そこにちょうどミラクルクレヨンを持ったぶりぶりざえもんに会うシーン。まずぶりぶりざえもんに「しんのすけを連れてきてくれ」母親を助けたいんだ、ってユウマがなぜここにいるのかというそもそもの行動の悲願を頼み、その直後に敵側から地位と名誉OR友達を助けるかって択が掛かるのがもう本当いいのよ。基本的にぶりぶりざえもんは欲に塗れたやつで喉から手が出るほど地位と名誉と金が欲しいんだけど、直前のユウマのお願いが完璧に決まってる。そもそもユウマがみんなで本丸を攻めようという流れに対して孤独、というか孤高に母親を助けようとしているからぶりぶりざえもんに対する「お願いだよ、しんのすけを連れてきて」というのがものすごい沁みる。みんなが一丸になってる中で、自分は自分の力で誰の手も借りずに願いを叶えようとしてるから、助けてあげてよって思わされる。だからここでぶりぶりざえもんがユウマの方を選ぶ葛藤は「こっち選んでくれてありがとな」という気持ちと「よく葛藤に打ち勝ったな」という称賛で溢れてグッと来るんだよねえ。

ここからこういう択の連続。ユウマが母親を助けるのに、王族であるが故にミラクルクレヨンを使えるお姫様がお母さんを助けてくれる。お姫様にとっては自分の国や家族をミラクルクレヨンで救えるかもしれないのに(ミラクルクレヨンに関しては気に掛かる点がちょいとあるけど置いといて…)ラクルクレヨンの消失と引き換えに目の前のさっきあったばかりの男の子の母親を助けてあげる。自分も大変なのに相手を思いやれるお姫様の優しさががっつり描かれてて大好き。

しんちゃんの方はしんちゃんの方で雨が降ることで水に濡れると消える落書きたちが消えるか戦うかの二択を迫られる。雨の降る屋上でしんちゃんが単身敵につっこみ、偽なな(落書き)がちょっと雨に晒されるのを躊躇うシーン見た瞬間に「己を顧みずしんちゃんを助けるシーン見たい!」と思ったらちゃんとそれが描かれてて本当良かった。ちなみに屋上の、誰もいないちっちゃい遊園地が動いてるのとステージを引きで映して手招きがぬるっと出てくるホラー感もすげえ怖くて良かった。

偽ななこが消えたショックを台詞にしないのもすげえ良い。雨に打たれるしんちゃんの画で言葉以上に語ってるよねえ。

その後の民衆によるバッシングも最高です。この辺からマジで目が離せない。落ちてくる城をミラクルクレヨンでどうにか破壊してくれよとか勝手なお願いをしてくるが、ミラクルクレヨンはもうない。ユウマが来て母親を助けるのに使っちゃって、周りの皆が「何自分勝手なことしてんだよ」「皆で協力しなきゃダメだろ」って、保身を正論で包んで好き勝手いうの良い。みんなが頑張ってること知ってるから「ちょっと話くらいきいてやってくださいよ」って思える。バッシング受けて謝るユウマと「私が捕まったからこんなことに」って庇うユウマの母にしんちゃんが「オラも母ちゃん助けた。ユウマもお母さん見つかってよかったね」っていうの、一番欲しい言葉じゃん。誰も悪くなくて、愛してる人を身を挺して頑張って助けたかったって行動の結果に、周りは掛ける言葉もなくて、そんな中でしんちゃんはちゃんと自分じゃなくて他人を思いやれる言葉を掛けてあげられるのが最高。しかもその様子をみてるお姫様が「選ばれた勇者はちゃんといい人だった」って微笑んでるのもまた良い。これからの問題に対する安心感がある。

B'zの『ねがい』の「僕は僕に君は君に、拝み倒して笑えりゃいい」って歌詞が大好きなんだけど、結局しんちゃん、というか主人公格の人間は他力本願じゃない、降りかかる試練を一身に背負って向き合ってそれぞれの願いを自力で叶えようとするから尊敬できてかっこいい。

 

この後の逃げ惑う群衆の中でお姫様が「落書きをすればラクガキンダムは助かるんです」って叫ぶのもいいよね。一つに、逃げ惑う群衆も自分や自分の家族を守りたいけど、お姫様だって自分の家族や国を守りたい。そのために声を張り上げてるのに誰も聞いちゃくれない悲痛さ。もう一つは、「全員が協力すれば助かる道がある」っていう択があるのがいい。全員が協力すれば助かるが協力者が少なかったら滅びる。自分だけ逃げれば確実に助かる。というゲーム理論の択。囚人のジレンマってやつ。「お互いが協力する方がしないよりいい結果が出るにも関わらず、協力しないほうが利益を得る状況では互いに協力しなくなる」。ダークナイトのラストもそうなんだけどさ、人の思いはそんな狡くてダサいジレンマなんかには負けねえって展開大好きだ。大変でももっとより良い道があるのになんでそれを皆目指さないんだよ!って悔しさとかも入ってきて好き。

 

しんちゃんが溶けてくぶりぶりざえもんとする会話もすげえ良くて、まず場所が、民衆から離れてる静かな場所ってのがいいよね。不思議な場所で決意をする。

会話がさ、「ユウマくん助けたんだね」「あいつらはナンバー2にしてやると言った。ナンバー1以外に興味がないからな」っていう全然本音を言わないぶりぶりざえもんというキャラね。超良いわ。というかすべてを通してぶりぶりざえもんのキャラ好きで、強いものの味方だし欲望に素直だけどここ一番ってところで誰よりも勇敢な選択が出来るやつ、そして恥ずかしくて人のためなんて言えない「全部自分のためだ」なんて言っちゃうやつ、お前みたいなやつが一番好きだ。

しんちゃんもしんちゃんで、ぶりぶりざえもんに「誰かいなくなったのか?」って聞かれて「ううん、別に」って答えるのよ。偽ななこいなくなってるのにみんな本当のことを言わないのよ。言わないからこいつらの本当の思いを感じられる。これは作品作りの一つの技術だよね。

 

ここから決意して大落書きが始まって、ユウマとお姫様が民衆に訴えるシーンね。ここはもう本当に、ユウマの言葉が良くて良くて…。「お前らしんのすけに助けてもらったんだろ!皆で協力するときだって言ってたじゃんか!皆でやれば助かるのに、ずりぃよ!」って言うのがね、この大人ぶった言い訳を、「ずるさ」を突きつけてやるのがドキッとするでしょ。口先だけで何も向き合ってねえじゃねえか。やらない言い訳はいつでもいくつでも見つかるんだよ。でも助けてもらったんなら返せよ!って言うのがいいわ。ユウマもしんちゃんに助けてもらってる、というか一番欲しい言葉をもらってるから、しんちゃんが今でも頑張ってるのを知ってるから、「お前らもだろ!」って言うのが燃えるよねえ。

 

そんでこっからの「祭り」がなんか分からんけど妙に感動するんだよな。やっぱ崩壊に対して祭りという「祝い」で対抗してる、楽しさがいいんだろうな。防衛大臣がすげえ楽しそうに落書きしてるの見ると、今まで国を思っていたとは言え外道に手を尽くして笑顔を忘れてたギャップでグッと来る。そして俺はお姫様好きすぎるのでめっちゃ可愛い動きで落書きしてるのが可愛すぎてもう…。そこはさすがラブライブの監督だぜ。

 

この祭りのいいところは「町くらいぶっ壊しちまえ」って開放感だな。序盤の「道端に落書きなんか出来ないご時世」ってのもフリになってて、「道がないところはどうすれば」「関係ない、壁も屋根もどこもかしこもキャンパスに出来る」っていう、人間が作り出したしょうもないルールというか既成概念をぶっ壊す快感がある。この町も空に浮かぶ王国も救えるなら、人が元気で笑ってられるなら町が落書きだらけになるくらいどうってことないだろってみんなで祝う。

とっても大切なことのためにルールを破るっていうの大好き。泣いてる人の涙を止めるために、苦しんでる人のために、既成概念やモラルや道徳なんてしかつめらしい大人の言い訳だろって方向性は本当に好きだ。気持ちよく笑うための行動。

 

そんでパンツ(落書き)の消滅と巨大ぶりぶりざえもんの活躍。ここはあともうちょい乗れなかったが笑

パンツになんか悲願があればなあ。「また遊びたいね」とかずっと役立たずだったけど最期に自分が活躍できる時が来たんだ、嬉しいなあとか、あればラストも燃えたなあ。一番いいタイミングではあるけど、もっと盛れるよな。「誰とも別れたくない」というのがフックになってて、これ後から書こうと思ってるけど、個人的に絆を深めるロードムービー部分が弱いと思ってるので「別れたくない」が刺さりきらないんだよな。ま、後述。

巨大ぶりぶりざえもんもぶりぶりざえもん自体が大好きだからさ、「言われなくてもがんばっておるわ!」と言いながら頑張ってるのとか好きだし、そもそもここまでの流れが最高すぎるのでその全てを繋いできた最後の地点だから否応なくテンション上がるんだけどさ、「なんで」ここでぶりぶりざえもんなのかってがハッキリしないからちょっと刺さりきらない。

クレヨンしんちゃんという作品的にぶりぶりざえもんなのは分かるし、ぶりぶりざえもん以外にないのはないんだけど、「救いのヒーロー」ってのがクレヨンしんちゃんっていうハイコンテクストで語られてるからちょっと説得力弱いのよね。これはしんのすけ自体にも言えるけど。

ブタのヒヅメがエンディング似てるんだけど、あれは世界を滅ぼすものとして実体化したぶりぶりざえもんが、しんちゃんと喋って産まれた意味をもう一度問い質される。つま「あんたは人を困らせる前に産まれたんじゃなくて、救うために産まれたんだよ」って産まれた意味に還った結果、ラスト脱出飛行船を持ち上げる。本当に欲しい物が分かったんだ、教えてくれてありがとうの手助けなわけよ。だからものすごい説得力がある。ラクガキンダムの方は必然ではあるけどもっとクサいくらい意味が欲しい。ただ代案が思いつかないから、俺の負けだよ…。

 

エピローグで好きなのは、ユウマくんとお姫様ね。この二人が可愛くて可愛くて…。アイパッドにお姫様が落書きしてるの得意げで楽しそうでひたむきで可愛い。みんなの絵がデータ上に保存されてて、町中の落書きは減ったけど、本質は変わってないんだよってのも好き。

なんかさ、ユウマくんはお姉さま受けのよいクールショタでしんちゃんの世界観と真逆だからめちゃくちゃ映えるんだよね。おバカで、でも子供の象徴みたいなしんちゃんと現代っ子の融和が、俺はクソジジイなので現代っ子を舐めてるが、それとしんちゃんがぶつかることで「なんだよ見どころありまくりじゃん」ってなるのがいいんだよね。お姫様も意思強くて行動力あるけど、子供っぽく素直で感情表現豊かで可愛いし。二人ともデザインが良くてね。伊集院炎山くんとかいけすかねえけどカッコいいやつ通ってきてるし、お姫様もタレ目でかわいいっす…。可愛いしか言ってねえ…。

追記で可愛いポイント。勇者の元へ連れて行ってと強情なお姫様に弱々しく主張するユウマくん。ぶりぶりざえもんを見かけて何故かビビりユウマくんの袖を引っ張るお姫様(さっきの強情さとのギャップかわいい)。逃げる時はいつでもお姫様の手を引いてるユウマくんも良い。

 

ラストしんちゃんの当初の目的であるななこおねーさんとの会食で終わるのも気持ちいいよな。ヤキニクロードも小さい願いから始まってデカいスケールになって悲しさとか寂しさとか色んな喜怒哀楽体験するけど、最後は最初の願いに還るっていう日常サイズの特大の幸せで終わるってのスッキリしていいよね。そしてもういないけど心のなかには住み続ける一緒に冒険した仲間たちもいたんだよっていう。ここらへんは完璧ですね。

 

序盤について

冒頭の映画感はすごい好きで、ラクガキンダム内の対立と脱出を描きながら間にOPクレジットが挟まるの、映画っぽくてすごい良いなあと思ってワクワク。

ラクルクレヨンを渡すくだりも別にいいんだけど、やっぱしんちゃんが春日部を奪還しようとロードムービーするところかなあ。

後半行くと「あ、戦争描きたかったのね」と分かるけど、子供に配慮した結果だろうけど封鎖感が弱くてさ。「ななこおねーさんを早く助けなきゃ」という動機で歩き出すんだけど明確なタイムリミットがないから緊張感が薄い。しんちゃん自身も町がどうなっているかってのを眺望として眺めてるだけだし。例えば壁に閉じ込められた人は一定期間後消えてしまうとかあったら早く助けなきゃ!ってなるかなあ。

ユウマくんが付いてくる時に「春日部は戦場だ。覚悟はあるか」みたいな台詞があるけど、例えば春日部でスニーキングミッションしてる大人が捕まるとか、危機感あるエピソードがあれば戦場っぽさ、非日常と化した場所感がでる。自衛隊とかのリアル感で重さを出そうとしてるけど、どんどん捕まっていく人が増えてるよとかで殺伐感欲しい。

 

あとはパンツのくだりでもちょっと言及してるけど、ロードムービーの絆部分。ロードムービーでみんなで楽しく冒険するの自体は大好きなんだけど、喧嘩か約束があると消える時に燃えるなと思う。偽ななこの最初はしんちゃんが思ってたのと違うのが出てきて嫌悪感あるけど、ひたむきな愛情がそれなりに伝わって仲良くなるの好きだけど、、いやまあいいや。好きです。(あんまり細かい話ししても結局泣いてるから詰めても仕方ないなと急に気付いた)

まあでも約束かな。約束があると選択になっていいよ。ユウマくんと仲間たちとに関しては例えば、ユウマくんはあんまり笑わない子だったけどしんちゃんたちといる時は心から笑えたとか、違う自分に出会えたエピソードとかなにか貰ったエピソードがあると絆が増えてエンディングの、ユウマくんがしんちゃんたちの幻想を見るくだりももっと切なくなるよな。

追記。最初に大人を開放した時に喋るパンツたちをみてビビる時に、ユウマくんが「すぐ馴れますよ」っていうんだけど、そもそもユウマくんは最初から落書きを受け入れてたので(一応6歳設定だからかもしれないけど)、最初は受け入れてなくて段々受け入れてくるという変化が描かれてると良いなと思った。

あとパンツが水に怯えるシーンがあるから一回、水に怯えてしんちゃんを裏切るというか助けに行けないってエピソードがあると最期に命かける時にグッと来るよなあ。

 

そんで序盤ノリきれなかった一番の原因はしんちゃんが勇者であることがハイコンテクストで語られてること。

しんちゃんはミラクルクレヨン使えるから勇者なんじゃなくて、誰よりも人のことを思って自由な気持ちで落書きできるから勇者であって欲しい。

ユウマくんが崩壊する城を嘆くお姫様に「でもしんのすけならなんとかしてくれる」っていうんだけど、説得力が弱い。例えばしんのすけはみんなが後ろ向きになってしまうどんな状況でも笑って楽しく落書きができる、とかって具体的なエピソードがあれば説得力あるけど、この映画内だとミラクルクレヨンが使えるからすごいってエピソードしかなくて、どう落書きに対して他と違うのか、なぜ落書きの勇者として選ばれたのかって納得できるエピソードがない。しんのすけクレヨンしんちゃんという作品の主人公で今まで映画とかアニメとか見てるでしょってのが前提にあって、俺はそういうの好きじゃないのでもっと期待感が欲しかったなあ。

春日部を救うのにしんちゃんが必要というのも、そもそもラクガキンダム側のゴールが見え切らないし、最初の命題は「自由な落書きこそ大事で無理やり描かせても仕方ない」だったので、それに対してしんちゃんは「自由に気持ちよく描くのが落書きの本質じゃないの?」って言えるキャラとして置かれて欲しい。「労働のように落書きを描かされる」という主張がある春日部に、「落書きは自由だぞ」という主張を持つしんちゃんが出向くから期待できる。その道筋が見えないとエレクトせんのよ。

ラクルクレヨンは自由な気持ちを持ってる人が使えるみたいな台詞があるけど、その自由な気持ちって具体的になに?っていうのを見せてほしかった。現状ミラクルクレヨンがとにかくすごくてしんちゃんは使えるから勇者ってだけになってるのが乗り切れない。

だからまあ後半はすごい好きなんだけど、序盤はしんちゃん側も敵側もお互い目的自体ははっきりしてるけどヒートアップはしない目的だから(もっとやることのスケールがでかくなるとか「これはまだ第一段階…」とかではないから)ちょっとだるい。主張も若干はっきりしてない。

 

あと防衛大臣側がミラクルクレヨンを手にして何をするつもりだったのか微妙に分からなくて、最初はミラクルクレヨンを使って軍隊を手にし下々のものに強制労働を強いるつもりだった、というのは分かるんだけど、もう強制労働出来てるし城が落ちてくる段階では何の役に立つのかってのが分からなくてなんで防衛大臣はそれほどにミラクルクレヨンを求めてるの?と疑問だった。

 

という、長々とした感想。

 

正直めちゃくちゃ面白かったのでまあいいっちゃ良いんスけどね。この構成だと序盤がタルくなるのは仕方ないことだし。ワンピースも序盤たるいやん。藤田先生もスロースターターと言われてるし、仕方ないのは仕方ないのでマジでただただサイコーだったんすよ。

やっぱ大量のキャラがそれぞれの思惑で戦いつつ、最後には一つの目的に向かって協力し合う話って盛り上がるよね。ワクワクが止まんないよね。あと友達になるんじゃなくて同じミッションを協力してる戦友になるって距離感がすげえ好きだからユウマとしんちゃんがべったりじゃないのはそれはそれで好きなんですよ。ハンターハンターの利害で協力してるけど、でも見捨てれねえ仲間でもあるっていう関係性な。宇宙よりも遠い場所の四人もそんな感じじゃん。違う動機で同じ目的を共にする戦友。仲良しだから認めあってるんじゃなくて、隣を歩いて一生懸命やってる、行動で示してるから信頼してるっていう距離感。口数少なくても通じ合ってるやつ。最高。

 

久しぶりに最高って思える、「おお、映画見たぜ」っていう旅感溢れる映画見えて良かったです

 

終わり

アニメ『無職転生』2話まで

アニメ『無職転生』が面白いと勧められたのでちょっと見てみました。

面白かったっす。

 

あらすじ

30代半ばのひきこもりニートがトラックに轢かれ、気がつくと聞き覚えのない言語を話す夫婦の子供になっていた。そこは剣と魔法のファンタジー世界だった。

言語を学び見様見真似で魔法を使ってみると、母親が才能を認め魔法の先生を呼んでくれることに。やってきたかわいいジト目の女の子と優しい家族に恵まれ主人公はこう思う。

現世では虐められトラウマになってそのままひきこもりニートになってしまったが、ここでならちゃんと人生を行えるかもしれない。努力してやっていけるかもしれないと。

 

みたいな。

こうしてあらすじ書くとやっぱり転生モノのフォーマットの強力さが改めて分かる…。めちゃくちゃシンプルだ。

 

感想(前置き)

好き嫌いをはっきりさせて嫌いなものはどうやったら好きになるかを考える。それが物語づくりの練習になると昨日会ったモグラが言ってましたので、そういう感想です。よしなに。

 

感想

異世界転生モノは殆ど見たことないけど(もしかしたら全く無いかもしれない)、これは面白いと聞いて見てみた。

確かに面白くて、まあいわゆる「俺TUEE」系じゃないから(今でも使うジャンルか知らんが)だと思う。生まれ変わって普通に世界の仕組みを学んでいくし、恵まれている世界には生まれるけど、ありふれた恵まれ方でこういう恵まれ方してる人は世の中にいるだろうなっていう恵まれ方。

その恵まれ方と主人公が引きこもりになった理由である、高校時代の陰惨ないじめとのバランスが上手くて、「これなら夢見ることさえ忘れていた『普通』を、努力という未来を見られるかもしれない」という祈りがちゃんと刺さる。ちゃんと主人公にとって願いが切実であると思えるように描いてる。

 

1話2話は「人生やり直せるかも」って思えるまでで、そこに一役買った魔法の師匠の女の子が可愛くて可愛くて…。

ダウナー系なのにコミュ力高い子すげえ好きなんすよ。中学生くらいの大人のお姉さんってのも、いいっすよね…。へへ。

それにすげえこの子いい子でさ、主人公は異世界転生だから才能がすごいんだけど、この先生は才能がないのよ。教えられることも少なくて、呪文も無詠唱じゃ出せなくて、「師匠って呼ぶのは止めて下さい。あなたはすぐに私を追い越しますし、自分より実力のない者を師匠と呼ぶのはあなたも嫌でしょう」とか言うんだけど、でも変に僻んだりせずに村の人とも仲良くなってるし、旅に出て自分を鍛えなおそうとするし、良い子なんすよ。良い子は好きです。応援したくなるから。

本来は先生といえば引退した人が来るのに、こんな若い子が来たということはこの子はもう才能がないと言われたんだと思うのよ。現役選手はやれなくてコーチしか出来ないって言われたんだと思う。それなのに自分より才能ある子を教えるなんてさ。辛くて良いぜ。まだまだ未来のある子に対して「もう私が教えられることはありません」って、でも笑顔で「頑張って下さい」っていうのは切なくて好き。

 

引きこもりで外と他人が怖かった主人公が、髪の色で偏見を持たれ人付き合いをマイナスで入ってしまうのに1,2年掛けてちゃんと村の人と仲良くなっている師匠の姿を見て憧れるのも良い。

黙って誇らず淡々と頑張っている子はかっこいい。

 

 

人生をやり直す、というテーマは恒川光太郎の『スタープレイヤー』を思い出す。しかも結構バランスのとり方が似ている。

スタープレイヤーも30代半ばの無職の女性が異世界に行き10の願いを叶えられるスターボードというものをもらう話で、こちらも若い頃に通りに魔に襲われて足が不自由になり引きこもり無職になってしまったという過去を持つ。

10の願いで足の怪我を治すのと一緒に自分を美形にしたり若返らせたりする。自分を傷付けた犯人に復讐をしようとしたりする。でも結局どうやって幸せになるかというと、美形になったからすぐに幸せになるとかでもなく、その上で生きていくしかない。

 

俺の中で、虐められて引きこもりになって、うまく生きようにも見える未来がなくて、それでも頑張らなきゃいけないと押し付けられる世の中で恐怖や人生と戦いながら「お前なんか生きてるだけで迷惑だ」って言ってくる周りの人間を黙らせるためだけに苦痛を押し殺して必死で生きようとするのも、生まれ変わって幸せな家庭と少しの才能を持って「人生頑張ろう」って幸せになっていくのも結果は同じ気がするんですよ。

だって人が真っ当に生きていきゃあ周りは納得するし、本人も心が満たされるわけでしょ。結局いつだって邪魔なのは他人の欲望なんですよ。

無職転生やスタープレイヤーはそこら辺ちゃんと描いてると俺は思うので、それを否定する心はおそらく嫉妬心とかじゃないのかな、とは思います。

例えば足をなくした人がバーチャル世界で自由な足を得て走り回れるようになって、それで自信や希望を取り戻して幸せになるために頑張ろうと思えればそれでいいし、そこで「現実と向き合えよ」と言う人は単に倫理を装った足を引っ張りたい人なんじゃないかと思う。

願いがかなって努力する気力が湧くならそれでいいじゃん。

 

でもさ、物語内ならそれで納得できるけど、同時にそこまでやらないと人生って回帰できないのかなとも思うし、逆にたったそれだけ揃えば頑張れるのかな、とも思う。

両親の愛情をいっぱい受けて、見た目も人に馬鹿にされるほど醜くなくて、何かを理解するのにスッキリした頭を持つ。それだけ貰えれば頑張れるのにって世の中に怯えている人がたくさんいるんだろうな。

 

キリのない話なんだけど、結局選ばれなかった人間(酷いいじめを受けたり通り魔に刺されたり)が再度選ばれ直すことで人生を回帰してるので、やっぱりそこからすらもまた選ばれず零れ落ちた人間がいるってことも思っちゃうな。

 

だから、現実は転生なんてないので、棚から落ちてくるぼた餅を待つようなことだけを願うのも、それはそれでお門違いかなとも思う。人を恨んでるだけじゃ空虚ですので、自分で底から這い出していく根性も必要ですよ。まあこれもバランスですわね。

 

転生モノ自体に対する感想になっちゃいました。

無職転生は、まあこれから先どういうふうに転がっていくかで評価変わるかなあ。1話2話は面白かったです。

前世と比較して恵まれたことに甘えそうになる(努力を辞めそうになる)けど、貰った才能と向き合って血を流しながらも頑張る、そんな話になると良いけど…。幸せにかまけている奴は応援したくねえからな。

 

終わり

アニメ『デジモンテイマーズ』14話まで

デジモンテイマーズ好きだった気がするなあ、と見てみたら個人的に無印より好き。

脚本が小中千昭なんすね。

 

あらすじ(大まか)

デジモンはカードゲームやPCゲームとして親しまれている世界。主人公のタカトくんは他の子供達と同じくデジモンにハマり、友達とカードゲームで遊んでいた。ひょんなことから謎のデジモンカード読み取り機を入手したタカトくんは、授業も聞かずに考えていた「僕の作ったデジモン」のメモをそれに読み取らせてみる。するとその機械になんと卵が出来ているではないか。デジモンが生まれるんだとワクワクしながらその日は就寝。

その晩、タカトくんはデジモンテイマーが自分が持っている機械と似たものにカードを読み取らせ、パートナーのデジモンと一緒に他のデジモンと戦っている姿を見るという、夢のような不思議な体験をする。

そのことを学校の友だちに話しても誰も信じてくれない。あれは夢だったんだろうか、そう思ってあの機械を見てみるとデジモンの卵が割れている。きっと僕にも夢で見たような何かが始まるんだとワクワクしながら表示されるレーダーに従って建設中のビルに迷い込むと、そこには「僕の作ったデジモン」ギルモンがいるではないか。

 

というような1話から始まり、他の同じ境遇の子供達と出会ったり、ただデジモンと戦うだけではいけないことを学んだり、ギルモンと仲良くなったり、テイマーとはデジモンと一緒に戦うとはどういうことかを考えたりする話が続きます。

そしてそのバックには「デジモンはただのデータだ。人間が生み出してしまったミスだ」だから消す、という大人の組織もいて…と。

 

感想(前置き)

それぞれ自分の好きな食べ物があると思います。好きであればあるほど細かいこだわりがあると思います。そういうことを認識するのが物語づくりの練習になるとピクサーとかがいってるのでそういうタイプの感想です。よしなに!

 

感想

俺は幼少期の記憶を辿るにデジモンアドベンチャーが好きだと思ってたんだけど、序盤の感じはテイマーズのほうがかなり好きだなあ。

というのも、無印は十五少年漂流記で一気に異世界にいって「ここどこ?」とサバイバルするんだけど、テイマーズはじわりじわりと異界に近づいていくのね。俺は異界が好きだと思ってたけど、異界に行くことではなくて「異界がある」ことが好きなんだろうなあと気付いた。

現実世界の生活はちゃんとあって、友達や家族とのエピソードが有りつつ漏れ出した異界=非日常と関わっていくという構造が好き。

テイマーズはその部分をかなりじっくり描いてて好きだなあ。現実では異物であるギルモンをどうしようかとか、お母さんとお父さんには内緒でとか、進化してデカくなって取り返しがつかないし怖いしどうしようか、っていう悩みがあるのが良い。

感じとしては放課後の秘密のあれこれとか、最初は遊びだったのが段々ことが大きくなってアンコントローラブルになり「まだ遊びななのか、それとも命がけで事象と関わっていくのか」と覚悟を決める話に持っていくのがワクワクして好きなんですよ。

 

あとは全体に関して言うとカードスラッシュって要素が燃えるぜ。ガッシュロックマンエグゼで育ったから、「高速プラグインA、カードスラッシュ!」つって戦闘をメイキングしていくのって、いいっすよね…。恍惚…。同じデジモンでも、とにかくパワーを上げて倒そうとかスピードで翻弄しようとか、色々妄想が膨らむから…。

というバトル楽しい要素もありつつ、話の流れとしては「戦うだけで本当に良いのかな」ってテーマがあって、それこそがバトルの本質だと思っているのでそれも良し。「戦わなくていいなら出来るだけ戦いたくない。友達でいたい。けど戦うしか無いから、自分の街を守るためには強くなるしか無いから命をかける」という矛盾、アンビバレンツな気持ちが熱量を上げるわけですよ。

ただ今の所(14話時点では)テイマーズは、バトルに入るまでは上手いけど、バトルそのものは乗り切れなくて物足りねえ。「台詞で気持ちを説明しない」「直接言及しないことで深みをだす」というのを心がけているっぽいのだけど、バトルとか友情に関しては俺はハッキリ叫んだほうが絶対熱いと信じていて、そうじゃないと駄目だから物足りねえんだ。例えばレナモンとルキのケンカと仲直りも、分かるんだけどもっと「強いからパートナーなんじゃない、レナモンだからパートナーなんだ!」っていうのを思い切り叫んでほしい。そこは魂の叫びだから、バトルは魂勝負だから、ハッキリしてるほうが最高に熱いんすよ。日常パートは「あえて言わない」ことで伝えてくるの大好きだけどね。

 

そしたら順繰りに、疲れない程度に好きな回を書いていくよ。

 

1話

1話でかなり引き込まれたんだよねえ。めっちゃ丁寧なのよ。丁寧すぎるくらいで笑

デジモン出るの最後の方ちょろっと出るだけだからね。でもだからこそ、異界との接触がじわりと滲んでて良いの。

一話で惹かれたのは、正直デジモン関係ないんだけど、主人公のタカトくんが放課後一人で居残りさせられているところに加藤さんって女の子が犬のパペット(手人形)を持って「ワン」って話しかけてくるシーンね。放課後にかわいい女の子が手人形でワンワン話しかけてきてこっちの質問には答えずに「笛の忘れ物。『ワン』」「ふふふ」って笑いながらすっと去っていくの、ドキドキしちゃうね!さり際にて人形だけドアから顔を出して「真面目に反省文書かないと怒られるワン」って言ってくるんだよ。ここの加藤さんの顔は見せない、目は合わせない演出がにくい。女の子の方はこっちを全然意識してないのに、こっちはドキドキするということにドキドキするよ!まったくよ!

主人公より大人だけどやっぱり子供な女の子、あまりに好きすぎるぜ…。

それから主人公の家がパン屋やっててお父さんとお母さん出てくるのだけど、やっぱ家族がしっかり描かれている作品て好きなんだよね。クラスメイトや友達が描かれているのも同じ理由で好きなんだけど、これから起こる非日常と隣り合わせの日常がしっかりしてると、内緒感や秘密感、バレた時の葛藤とかぶつかり合い、そこから各々の立場でどういう態度を取るかって話になってきて、そういうのは見てて楽しい。内緒ってのは本当にスパイシーだから。

それから生まれたデジモンを探しに街の路地に入っていくくだりね!ここが本当最高!

人通りの多い通りから隙間に入っていって、排水溝の狭い道をねずみを触っちゃったりしながら進んでいく、まさに異界への道!って感じがして本当ワクワクする。直ぐ側は人通りが多い道なのに隣は静寂で誰も気づかない、誰もいない、開かれた雑然とした建設現場。そこでギルモンと出会って…ってのがもうね…。

しかもギルモンも自分が作ったからって自分の理想通りではないのよ。ギルモンの目の前のネズミに向かってでっかい火の玉吐くわけ。小動物を殺す。「意思疎通できないかもしれない」「異形の者なんだ」って恐怖で出会いが始まる。そこから段々心通わせていくってのが、いいんだよねえ。理解不能の全くの他者からパートナーになっていく

 

2話

2話は小中千昭さんの良いところが出てる感じするなあ。

クルモンていう純粋無知の権化みたいなデジモンを夜キスしてるアベック(あえてのアベック呼びでいかせてもらう)に出会わせて「何してるでクル~?クルモン知らないこと知りたいクル~」って言わせるのはホラー文脈の人のやり口だよね。そもそも子供向け番組で夜中道端でキスしてる奴ら出すのがちょっとすごいし、そこに無知なクルモンを出会わせる気持ち悪さね。子供と映画見てる時のベッドシーンみたいな、人間の獣性とか醜さを顕にさせるエピソードを入れるの、なかなかデジモンで出来ねえよな笑。

ホラー文脈でいうと、学校に迷い込んできたギルモンを先生が見かけてしまうっていうのもホラーぽい語り口にされてて面白い。授業やってるとこっちを覗く目があり、確認してみるも誰もいない。しかしドアには大きな爪痕が…って。小中千昭さん本人が「学校の怪談ですね」って言ってた。上手いし、怖くて好きだなあ。

しかし2話はなによりタカトくんとギルモンのやりとりが上手い上手い。

タカトがギルモンに待っててねと言うも、生まれたばかりの赤ちゃんみたいなギルモンは約束守れなくて学校に来ちゃう。で、学校で「変なのがいた」と騒ぎになってて、タカトが「もしかして」と思ってる間に給食のパンが全部食べられるという事件が起こってしまいタカトは絶望する。

もうここの自分の責任で大事になってしまって頭真っ白になっちゃって血の気が引いて体中に力が入らないって感じがすごい上手い。し、そんな時に出てくるテリアモンの「パートナー失格だねえ」って何気ない軽口がド刺さりして泣いて走り出しちゃうのが良いよね。「僕のせいだ、何がテイマーだよ」と思ってフラフラ走って、ふと空を見上げて「屋上にいるかも」という直感で屋上に行ったらちゃんといて、それで安心して、ギルモンも何の気なしで「あ、タカトぉ」とか言って飛び込んでくるから、怒るとかでもなくとにかく安心して言葉にならなくてとにかく抱きしめて、分かんないから「もう駄目だよ、勝手に動いちゃあ」って泣き笑いで言う。この感情の動きを台詞とかじゃなくて描くのか!ってすごい惹かれましたね。

 

3話からはちょっとまとめて感想。疲れてきた。

主人公タカトと友達になってくれる健良(じぇんりゃ)と強さを求めるルキの三人がメインなのだけど、この三人のそれぞれの思想と与えられているものが違うっていうのがいいんだよね。

タカトのギルモンは理想を作ったはずなのに意思疎通がうまく出来なくて「生き物」として育てなきゃいけない。ジェンリャは非戦主義なのにテリアモンは誰よりも早く進化できてしまうし、トリガーハッピー。ルキはとにかく強さを求めているのに先に進化するのは仲良しでやってる奴らの方だったり。ここらへんの欠けてるもの、欲しい物のチグハグがドラマになってて良いよねえ。

 

特にルキが好きでねえ。尖って「誰にも頼らない」「弱音を吐きたくない」って子は好きになっちゃうねえ。いつも「ふん」って感じで大人ですからみたいな雰囲気出してるのに、バカな男子どもがやるカードゲームが強くて女王とか呼ばれてるのも「こんな子いて欲しい~!」って子だよね。一人でカード並べて戦略考えて「これで、いける…?いや、駄目!」とか戦略に夢中になっている女の子、好き。「今度私をちゃん付けで呼んだら、蹴り飛ばす」ってやりとり良かった。

意外と家庭環境も悪くないのも好きで(そう思ってしまうのはアスカのせいなんだけど)、お母さんはモデルか女優やってて、母親の方は親というより友達感覚なのか、それに忙しいからあんまり一緒にはいられなくて、でも仲悪くはないって関係性がいい。あくまで俺のフィクションに対する好き嫌いとしてだけどさ、仲悪い家族とかあんまり見たくないのよ。子供向けの作品としてさ。

カードゲームやっててめっちゃ強い尖ってる女の子がお嬢様学校みたいなところに通っているギャップも好きですわねえ。

今後語られると思うけどルキが強さを求める理由とか、レナモンが「強さを求めるなら私を選べ」と滅私奉公してる理由が語られればなあと思う。

レナモンとギルモンの組み合わせも好きで、ギルモンって赤ちゃんだから馴れ馴れしくてもしょうがなくて、それに対するクールなレナモンの無言の保護者感が良いんすよね。

 

あとはテリアモンがあざとくてかわいいんだけど、こいつのことをかわいいねえナデナデってしちゃ駄目な気がしてるので絶対にかわいいねえナデナデってしないと心に誓ってる。めちゃくちゃかわいいんだけど、チョッパーと一緒で愛玩動物やペットではないから、そういう扱いをしてしまったら駄目なんだよね。彼なりの(性別があるかしらんけど便宜上彼と呼びますが)気持ちとか信念とかジェンリャに対する思いとかあると思うのでね、テリアモンにかわいいねえナデナデってするのはそれを踏みにじる陵辱行為にも等しいから駄目!絶対!

 

しっかりしてて良いのが設定ですよね。

デジモンがこっちの世界に出てくることを「疑似タンパク質が云々」とかでリアリティ出してるのが上手いぜ。そもそものデジモンの成り立ちがオープンソースで作られたものがいつの間にか子どもたちの間で人気になってるって設定はややホラーすよね。明確に誰が作ったか分からなくて、ただ面白くてみんなで作ってる内に手の負えない減少になってしまっている。しかもデジモンたちは意思を持ち何者かを「神」と崇めて人間世界に降り立ってくる。目的なく人が作ったのに人智を超えて知らぬところで神が現れてしまうという怖さ。どことなくエスケイプ・フロム・テルミナス - SCP財団っぽさがある。

 

13話は細かい台詞がうまくて、タカトくんの友達がマジのデジモンを見てビビってるというか嫉妬しててタカトくんと亀裂が生まれるのだけど、見かねた加藤さんが仲を取り持とうとしてくれるのね。「デジモンってよく知らないけどタカトくんの友達がデジモンだっていうなら私はデジモンは好きだワン」って言うんだけど男子としては引っ掛かりってそこじゃないんですよね。加藤さんからしたら「遊び相手なんだから好きだから好きでいいじゃない」って価値観、というか友達や生き物と関わる上での重きをおくところってそこなんだけど、男子にとっては好き嫌いは好き嫌いでも遊び相手とか友達とかそういうんじゃなくて、っていう捉え方の違いですれ違っててタカトくんが怒っちゃうのとかすげえ上手いんだよね。

「遊びなら嫌いになればそれでおしまいだよね」「ギルモンとは遊びじゃないんだ」っていう台詞がタカトくんの価値観を表しててすげえいいのよ。他者から見たら下らないお遊びに見えることでも、本人にとっては本気なんだっていうすれ違いね。ウソップ海賊団はお遊びだけど、でも他人からただのお遊びじゃんって言われるのは違うし、解散するときは本気で夢を追うために泣きながら解散するマジさ、みたいな…。そういう本気で楽しむ、というのが大好きなので、そこですれ違いを起こせるのは上手いっすね。

 

悪いやつの性格を表すのに、ジェンリャやジェンリャのお父さんに向かって「李健良くんだね」とか日本語読みで言ってくるのが上手い。本国の読みで訂正しても「日本ではそう呼ぶんですよ」っていう保守主義で排他的な性格を出してる。

 

地味に好きなのがテリアモンが窓にガンガンぶつかるところで、かわいらしいテリアモンが本能で獣むき出しになってしまっている気持ち悪さが惹かれる。人為的に所詮動物なんだなと思わせられる演出で良いです。

 

14話は戦闘入るまでの盛り方が超好き

悪いやつがゴキブリホイホイみたいなんでデジモンを一斉駆逐しようとしたら、デジモンに逆に利用されてクソデカいデジタルフィールドを作られる。悪いやつが本気で仕掛けた罠を意にも介さずに現実世界にリアライズしてくる。他のデジモンが悪霊のように吸われているブラックホールみたいなところから…。「人間ではなく我らの神に従う」と言ってくる怖さも良い。そうして出来たビルの屋上の広い空間にレナモンだけ偵察に行って、デジヴァイスで遠隔確認するんだけど相手の姿が見えない。「なんなのこいつ…」って恐怖感がすごいいい。

要は敵のデジモンが登場するまでに一話分くらい掛けてさ、悪いやつだと思ってた人間も利用されてまでもっと悪いやつが出てきてるんだよね。

 

でもここまで盛って出てきた奴がカッコいい虎なのがちょっとなあ。もっと不気味な人間タイプのやつとか、底しれぬ感じのやつに出てきて欲しかったなあ。それかせっかくデカいんだからもっとデカいことを強調したり、見える姿の一部がもっと悍ましい何かわからない獣だったりしたら燃えるなあ。

 

バトルに関しては、ギルモンはやる気だし進化もするんだけど、次々やられていく仲間にタカトくんが怯えて、ずっとギルモン殺されちゃうんじゃないかって恐怖があってそこは好き。進化してる最中もカードスラッシュしてるバンクの時もずっと不安な顔が挿入される演出が最悪の妄想が現実になるんじゃないかって怖くなっていいっすよね。

 

そんくらいワクワクしたからこそ、もっとタカトを追い込んでほしかった。タカトも血だらけになって死ぬくらい戦って欲しかったなあ。そのうえでシンクロするのよ。

友達たちもタカトくんを見直すけど、「マジの戦い」を見るからこそ見直してほしくて、エヴァシャムシエル戦でシンジのことバカにしてたケンスケとトウジが間近で戦闘を見て見直すやつ、あれが理想だなあ。嫉妬羨望どうせ遊びだろお気楽にやってるんだろという気持ちが、命がけをみてお互い尊敬に変わるってやつ。

 

 

 

はい…。

めちゃくちゃ長々書きました。

3話まで見た時点ですげえフィット感があったから早めに言語化しときたいなあとは思ってたんだけどズルズル14話まで見ちゃったぜ。

全体として熱さに欠けるけどバトル自体は面白くて好きだし何よりキャラと台詞が上手い。設定も好きなんだよねえ。

どうにか全話見たいとは思っているが、…果たして持つだろうか。

 

終わり

映画『ライ麦畑の反逆児――ひとりぼっちのサリンジャー』

映画『ライ麦畑の反逆児――ひとりぼっちのサリンジャー』見ました。

サリンジャーフラニーとゾーイーをちょっと読んだだけなのでライ麦畑は読みたいなあとは思ってる。この映画は「なるほどな」という感じで3点くらいですかね。

 

あらすじ

短編は書いてるけど小説好きの令嬢から見向きもされない主人公・サリンジャーは、絶対作家になりてぇと親の反対を押し切って作家の大学みたいなところに通う。自分を過信してた主人公だったが、先生や出版社に何度もダメ出しをくらい、それでもめげずに書き続けたことでたった25ドルの報酬だったが初めて出版される。その後、ホールデンというキャラクターを主役にした短編を書くが、先生に「これは長編にしたほうがいい」と言われ考えてみるがなかなかうまく行かない。

そうしているとある日、戦争が起きノルマンディー上陸作戦に参加することになってしまう。

次々に仲間が死に自分も死の恐怖に晒されて行く中で、ホールデンのことを考えるのだけが彼の救いになった。

ひどい戦争からなんとか帰還したものの、ホールデンのことを考えて乗り切ったがゆえに小説を書こうとすると戦争のことがフラッシュバックし執筆ができなくなる。

そんな時にある宗教に出会い、瞑想し、僧侶のいうことを聞くことでだんだんと執筆に迎えるようになる。

そしてとうとう正面からホールデン=戦争での悪夢と向き合う覚悟ができた主人公は、森の中に小屋で孤独に執筆を始め『ライ麦畑でつかまえて』を書き上げる。

いろんな出版社で不評ではあったがなんとか出版に漕ぎつけると大ヒット。

しかしあまりに売れすぎたためにファンが押し寄せてくる始末。家族も出来たが、嫁も子供も執筆の妨げになる、最初に作家とは何たるかを押してくれた友人となった大学の先生も執筆の邪魔になるとすべてを締め出していく。

最後には出版そのものも自分の執筆の邪魔だと作品も発表しなくなり、90歳になるまで田舎の小屋に引きこもりサリンジャーは延々と執筆を続けた。彼にはそれが幸せだったのである。

 

みたいなね。

 

感想(前置き)

世の中には牛丼が大好きなやつもいれば嫌いなやつもいて、好きでも嫌いでもないなって人もいて、それはそれでみんな違って面白いねってもんで、映画の好き嫌いもその程度のもんだと思うので、disってもギャグだと思ってね。

 

感想

ライ麦畑でつかまえて』を読んでたらまた違うのかもしれないけど、若手の出版社反抗物語としてはまあ弱いかなあ。実話だからフィクションの劇的さを求めても仕方ないとは思うけど。努力を見せるなら『セッション』くらい跳ね返されて全てを捨てて求めていくとか、絶対ホールデンの長編を出版したいんだっていうんならホールデンに懸ける想いをエピソードで語らないとグッとはこないなあ。

読んだこと無いから適当なこと言っちゃうかもしれんけど、ライ麦畑は青年の純粋な主張らしいのでサリンジャーの少年時代を描いて、それが戦争や大人の世界で濁っていく様を描かないと俺にはあんまり伝わんないかなあ。その後に現実の自分は濁っちゃったけどホールデンは「あの時のまま」として人々を救っていく存在であると言わせて、そしたら絶対出版したいという気持ちが伝わる、と思う。まあライ麦畑は半分自伝と言ってるから少年時代を描くとライ麦畑になってしまうから書かなかったのかもしれないし、ライ麦畑を読んでいたら脳内で主人公の変化が分かって感動するのかもしれない。ただ俺は映画にしか興味ないし、映画で完結してない映画はクソだと思っているので頑張れよと。

 

ただサリンジャーの自己中心的な考えや見返りを求めずに作家をやるというのは少し憧れるので見習おうと思う。

なので好きなシーンは学校の先生に「一生出版されなくても書く気はあるか?」と問われるシーンと、僧侶に戦争のトラウマで真っ白い紙を前にしても何も描けない、才能を失ったから作家を辞めないと相談した時に「書くのは才能をひけらかすため?心の内を表現するため?」と問われるシーンは好き。シーンと言うか台詞が刺さる。作家という社会的地位じゃなくて、心の所作としての作家を問いただすのがハッとする。

僧侶のシーンではそのあと、「書けたけど全然進まないし、内容もひどい。破って捨てた」と相談したら僧侶に「楽しんだかな?書くことではなく、原稿を破ることを」と返されるのも作家としての真理を付いてるなあと思う。内容ひどいなあと原稿を捨てるのは辛いけど生きてる感じするからね。リテイクはしんどいけど本当の意味での人生の幸せって感じもする。俺も原稿を破ることをそういうふうに考えようと、良いなあと思ったよ。

 

単純に良いなあと思ったシーンは、戦争に行った主人公が家族でも誰でもなく、一番自分の執筆と向き合ってくれた先生にだけ「生きてます。ホールデンについて考えています」と先生の教えてくれたことを糧に遠くの過酷な地で生きてることを教えるのは好きな人との繋がり方ですね。その人がいるから生きられるんじゃなくて、その人の教えがあるから、正面からぶつかってきてくれた言葉だから生きられるってのが良いよねえ。

その友情も最後には執筆の邪魔だっつって捨てちゃうんですけどね。先生がもっとはっきり落ちぶれて情けなくなっていったら最後の切り捨てもある種のカタルシスがあった気がするけど、そこそこだったからなあ。

 

まとめ

それぞれが幸せになるためには結局自己中心的に生きて、僕は僕に、君は君に拝み倒して泣いたり笑ったり出来るようになんなきゃなと思いました。衝突はあるし生きにくいとかあるだろうけど、家族を顧みて!と言ってる人も結局自己中心的に他人を支配しようとしてるだけだからね、そうして欲しいなら家族を顧みることを幸福とするやつと家族になれ!!!とか近所の犬が言ってたよ。俺は「ワン」と返しました。

というわけで幸せになるためにみんな頑張ろう!!どんな感想だよ!!!

 

終わり

映画『虹色ほたる 〜永遠の夏休み〜』

映画『虹色ほたる 〜永遠の夏休み〜』見たずん

好きですね、田舎と夏と子どもたち。田舎称賛とノスタルジーを批判する声がどこからともなく聞こえてくるけど、うるせえって強気でいきます。星5

 

あらすじ

父親を亡くし悲嘆に暮れている少年(主人公)が虫取りの思い出に田舎へ一人で向かう。そこで困ってる変なおじいさんを助けた帰り、濁流に巻き込まれ死にかけるが、助けたおじいさんは神様的な存在で主人公を一旦別の時空間へ送り助けてくれる。

そこは少年が生きてる時代にはダムに沈んだ今はもうない村。少年は昭和時代のその村でさえちゃんという女の子のいとことして暮らしていくことになる。

最初は神様に一ヶ月位は帰れないと言われ「携帯もないし、こんなところで一ヶ月もいられるのか」と不安に思うが、ケンゾウというさえちゃんの近所の男の子が仲良くしてくれて、主人公とケンゾウとさえちゃんでホタルを見に行き仲良くなる。

そしてこの村最後の夏祭りを盛り上げるためにみんなで灯籠を書いたりと準備をして段々この村に馴染んでいく。

ある日、さえちゃんと2人で家でお留守番することになった夜、少年はさえちゃんのすすり泣く声を聞き部屋に向かうと、一人っ子であるはずのさえちゃんがお兄ちゃんの思い出を語り始める。

さえちゃんのお兄ちゃんとホタルを見に行った帰りに交通事故にあって、お兄ちゃんを亡くしたというのだ。しかもその事故は主人公の父親が巻き込まれて死んだ事故と同じ事故だった。

じつはさえちゃんも主人公と同じように、死の瞬間に神様に助けられ今いるこの田舎町に転送されているのであった。

神様によるとさえちゃんは事故の後遺症があるうえに、お兄ちゃんのことが忘れられないので夏祭りが終わったあとそのままお兄ちゃんのところに行くという。そしてもし生きるという選択肢を取ってもここでの記憶は全て失われるということも知る。

生きててほしいけど何も言葉が見つからない主人公は夏祭りの前日、お寺の部屋で一人いる住職の昔の親友に思う「もう会うことはないかもしれないが、ただ生きていてほしい」という言葉を聞く。

夏祭り当日、悲しい顔をして祭りを歩くさえちゃんを見て、主人公は彼女の手を引っ張ってホタルを見に行く。

主人公はさえちゃんに生きててほしいこと、自分も父親が死んだけど自分が死んだって父親にはもう会えないこと、相手だってそれを望んでないことを伝え、記憶がなくなっても絶対にさえちゃんを見つけることを約束する。

そして現代に戻り、大人になった主人公たちはホタル復興プロジェクトのお披露目会で再び出会い、約束を果たすのであった。

 

感想(前置き)

自分の好き嫌いを語ります。そうするのがピクサーの人が物語づくりの練習にええよ、と言ってたので。よしなに。

 

感想

田舎と夏って、いいじゃん!批判の声は分かるけど、でも好きなんですよ。ちょっと自我を保つために言い訳から入るけど、田舎や昭和の礼賛が癪に障るのは分かるし、このコミュニタリアニズムの裏で座敷牢的な世界観もあるだろうなって、ホラーもちょこちょこ見るから分かるんだけど、じゃあ影を映し出してるそっちが本物かって言ったら同じレベルでこういう光も本物だと思うんですよ。

というか、その手の批判はテンプレ的な意見を武器のように扱ってるだけで本当にお前の脳みそで考えてんのか?

…なんて言わないですけど…。

楽しいブログを目指したいので切り上げて、と。

 

夏が好きなのはもちろんあるけど、俺にとってはこういう風に描かれている田舎はもう異界の領域でだから好きなんだよね。

道をもない山を抜けていってホタルがたくさん「自分だけの秘密の場所」に、「お前だけに特別教えてやるよ」っていったりするのは、やっぱいいね。子供の頃の閉じてるのに無限の世界を思い出す。…そしてそれを逆手に取った『ルーム』という映画をふと思い出した。どちらにしてもさよならに繋がる話ではあるか。

 

引き込まれたくだりはさえちゃんも転生者であったことと、死を選ぼうとしていること。しかも「現実に帰りたくない」理由に事故の後遺症があること(途中まで「何か」は分からなかったけど結果的に失明だった)。

生きていく理由なんてないのに、また会おうと約束することで生きる理由になるというのいいです。未来があるなら生きていける。ホタルみたいに一生懸命光るから必ず見つけてね、ってなんか好きだな。一生懸命生きてることを誰か見てくれてると思いたいからね。

 

ただまあちょっとラスト、ものすごいファンタジックなスペクタルで持っていかれて若干置いていかれたけど。もうちょいしっとりのほうが好きというか、2人で水の上歩いたりすると選ばれしもの感があまりに強いので、出会って記憶はないけど心が覚えていて感動を分かち合っていると虹色のホタルが幻想的な風景を作り出してそれを眺めるとか、それくらいが良かったかな。

 

河童のクゥと夏休み』もなんだけど、夏休みの友情とか周りの人との出会いや別れが好きで、でも「夏休み」というデカいテーマで語られているから好きなポイントが細かくなっていくなあ。

 

口下手な友達の恋愛を応援したりとか、その子が引っ越しする女の子に照れながらお別れ言うのを見て主人公も色々考えるとか、友達にカブトムシもらったお返しに自分の帽子を渡したり、主人公が書いたバイクに乗ってる父親を友達がかっこいいなあって将来バイク乗りになるよとか決意したり。

そういう友達がいるのっていいなあと思うし、子供の頃から会わなくなったとしても(作中だったら記憶にすら残らなかったとしても)貰ったものとか気持ちとか大人になっても残ってて、長い人生の中でたまに思い出すんだろうなあ、とか考えると泣けてしまう。

 

泣けるポイントでいうとジジイとババアが素敵(言い方に敬意を持ちなさい!)、これからダムに沈むから子どもたちがみんなで集まって夜のお寺で一生懸命夏祭り用の灯籠の絵を書いてて、ジジイがそれを眺めているのも泣けるんだよね。

ジジイにとってはずっと暮らしてきた場所で、自分は老い先短いのに村がなくなっちまうわけよ。そこで未来のある子どもらがみんなでワイワイと村を思って灯籠の絵を楽しそうに描いてるのね。そしたら寂しいけど、寂しいだけじゃないじゃんねえと、でもジジイはガキの頃からここにいて今ここにいる子供と同じようにこの村で遊んでた思い出を持っていて、とか人生を想像すると感極まっちまう。

ババアもババアで、さえちゃんが夏祭りでさよならするから泣いちゃってババアが抱きしめるくだりも良い。だっていいおばあちゃんなんだもの。しかも主人公まで最後出て行っちゃってさ、ババアは村から出る引っ越しを一人でやることになるんだよ。「大丈夫だよ、気にしなさんな」みたいなこというけど、一人で引っ越しの準備をしてる姿を考えるとさ。

 

世の中のジジイとババアは昔の人だから当たり前のように時代遅れになっていくけどさ、彼らも子供の時代からそこまで生きてきたわけだしさ、そして自分たちもいつかはジジイやババアになって時代遅れになってしまうんだからさ、もうちょっとジジイとババアに優しくなりたいなと思うよ。まずはおじいさん、おばあさんと言おう。『東京物語』もじいさんとばあさんの生きる場所の話で良いですよね。もうすぐ死ぬし時代錯誤だと言われるならなんのために生きるのか。

 

なくなったものを嘆いて過去に留まるのはどうかと思うけど、最近はネットがすごいから「またいつか」みたいなお別れも無いらしいので、それはそれで寂しいなあと思うし、ネットがあるから不可視気味なだけでそんな別れの存在自体は消えちゃ無いので、たまにはそういう別れがあったことを思い出すのも良いと思います。

 

終わり

memo

一ヶ月遅れくらいでジャンプ本誌でヒロアカを読んでるけれど、やっぱヒロアカの面白さってのはヒーローものじゃないところだ。

 

結局ヒーローを題材にしてるから「ヒーローとは」を語る話で「これが俺のヒーローだ!」という話ではないのでしょう。

 

単純にヒーローがかっこいい話だったらワンピースのほうが面白いし、今だったらDr.ストーンのほうがヒーローやってる。あと怪獣8号か。勝ち負けだけじゃなくて義を大事にするというか、道徳を大事にするというか。悪い敵を倒すよりピンチになろうが倒れている人を救う方を選ぶような話。

自分の遍歴で言えば金色のガッシュベル藤田和日郎先生の作品はヒーローもので、そこの面白さで言えばヒロアカより面白いと俺は思ってる。

 

ジャンプ14号のヒロアカでオールマイトの力は「無個性」だから継承できる、という設定が明らかになった。

ヒロアカの設定で、個性(超能力)は遺伝するものでどんどん強力になっていくことになってる。基本的には親より子のほうが強力で、これから先もどんどんそうなっていく。つまり無個性はロートルなのである。

無個性じゃなければ「あのヒーローの象徴とも言えるオールマイト」は誕生し得ない。今後、人類はちょっとずつ個性が強力になっていき、社会は変わっていく。進歩していく。進歩していくからこそ一強のヒーローはもう現れることはない。

言うなればこれはケンシロウやルフィのようなかつて存在した(今もいるけど)絶対的ヒーローに対する問いかけだよね。

オールマイトのような絶対的ヒーローは憧れでかっこいよいけど、そんなヒーローが存在するためには時間は進んではならない。世代を重ねてはならない。

時代が進んで世代が重なってそれぞれの個性が強くなって、無個性という不幸は減って社会が変わっていくともう象徴的なヒーローは存在し得ない。

パッキリ例えちゃうともうダウンタウンは現れないみたいな話。

 

で、デクくんは辛うじてオールマイトの残滓を受け取って、社会が次の世代に行く前に死柄木弔との決着を付けなきゃならない。もう二度と現れない絶対的ヒーローとして。絶対的ヒーローを今後願うことは時代を逆戻しさせようというノスタルジーにつながる思想になってしまう、そのエッジに立つものとして。

 

つまり俺はヒロアカから「ヒーローっていつでも笑顔のやつだよな」とかではなくむしろ「ヒーローとはそもそも何なのか」「何を以てヒーローと呼べるのか」みたいなテーマの描き方してると受け取っていて、その部分は面白いなと思う。無個性のくだりとかはね。けど俺は絶対的ヒーローが好きなので、気持ちは分かるんだけど刺さりきらないんすよね。別にそういうややこしいところ見たくないんだよっていう…。

 

エンデヴァーの身勝手な虐待の話の末に見て見ぬ振りをしてきた家族みんなそれぞれ罪があり、みんなで息子を救いに行こうとなる話なんかは好きでしたけどね。お父さんだけのせいじゃなく、みんながちょっとずつ悪いってのが良い。

 

俺は絶対的ヒーローがいて「こいつが来たからにはもう安心だ」って話型の方が好き!

 

まあこうして色々語って想いを馳せられるのは良い作品だわ。

 

ほんとにただのメモ。

 

終わり