見るなキタ━(゚∀゚)━!

トイレの「小」の方で流せるタイプの文章を書きます。そしてお前を許さない。

漫画『チェンソーマン』10巻

漫画『チェンソーマン』10巻黄泉ました

 

今回は好き嫌いとかだけでなく色々書く気がするので今までの形式を無視して適当にやります。

 

以下

 

まあ色々あるけどこれだけは言える。マキマさんがかわいいと。会社のニコニコしてるけどミステリアスなクール系上司で「かっこいいけど近づきがたい人だよね―」「高嶺の花だな」って言われてる人がこっちが落ち込んで公園のベンチで項垂れてる時に急に現れて「どうしたの?」「手冷たいね」って手を握ってきたら好きになっちゃうよ!しかも元気だしてって善意で家にお呼ばれして飼い犬に対して「こんばんわんってしようね」ってギャップを見せられたら好きになっちゃうよ!デンジくんが「ここは天国だ」っていうのはものすごい納得する。

 

ただそれこそが「支配」なのよね。コレは俺が最近良く言う「与えられた幸せに逃げるな」というROTH BART BARON『極彩 | I G L (S)』の歌詞の話に通じるが。

楽であること、何も考えなくていいこと、自分より頭のいい人に自分の全権を委ねることはすげえ楽で心地良い。優しくされるし、愛されるし、めちゃくちゃドキドキして溶けちゃうほど気持ちいい。

けど結局それでアキくんもパワーも死んでしまう、殺されてしまうっていうね。そこにすら目を瞑ればそりゃ楽で溶けるほど気持ち良いままでいられるけど、本当にそれで良いのか?という。

『チ。――地球の運動について』の2巻も買って読んだけどこれも希望が無い代わりに深い絶望もない。期待するだけ裏切られた時ダメージが大きい。なら何も信じないで良いじゃんって問題提起でさ。まあテーマの打ち出し方やドラマの面では『チ。』の方が好きだけど…。こっちはデカイものに「支配」されてる人間は皆死ぬ時「地獄」を見ながら死んでいく。本当は信じていれば天国に行けるって宗教を信じてるのに。自分の信念に従ってる異端者のほうが満足な顔で死んでいく。っていうね。こっちのほうが好きなのよね。

まあそれは置いといて。

「支配」ってなんだろうって考えたら、金が無いとか夢がないとかそんなんじゃなくて、支配する人がいる限りどんな幸せも手の平の上だってことが一番きついなあって思った。チェンソーマンでいう、家庭を作っても全部潰す、とか友達もお父さんも殺したあなたが幸せになって良いはずないよね、とか。過去がずっと絡みついてきて未来を蝕んでいく。

マキマさんがチェンソーマンを使って戦争や飢餓を無くしたいってのも一見すげえ良くない?ってことに思えるんだけど、これもたまに俺がブログで言ってる「例えば人が死ぬという現実があるから人を深く愛せる」ってことと同じなんだよね。社会の内側が良くて清いものだとされるけど外側の存在無くしてはルールはありえない。そしてルールがあるということは外側は存在する。そこから目を背けていけない。戦争がない世界って平和がない世界ですよ。深い絶望がない代わりに目の醒めるような胸を熱くする希望もない。

この辺の考えは好きだからこそ、真っ当に返してほしかったんだよね!なんかさよく分かんないんだよ!一応本誌で最終話まで見てるんだけどさ。「危険でいやらしい気持ちだけどそんな支配も俺好きだから食っちゃいますよ」「それだけヤバいものだって知っても嫌いになれなかった」「だからこれも俺の一部なんです」って支配に支配されるのは嫌だけど支配を胸の片隅に置いとくのはいいかみたいな、否定するものじゃないな、それも支配が気持ちいいのは気持ちいいもんってオチだった気がするけどさ。その辺をクソ映画とも絡めてクソ映画はクソだけど存在は認めましょうやって「俺もどっかの観点から見たらクソになるし」「ていうかクソだし」「生きて笑ってるくらい良いじゃないスか」って(こうして書いてると「内側」と「外側」の話をしてて、マキマさんは「内側」として外側はいらんと言ってるが、デンジくんは「外側」として「でもルールから外れて見えなくなった人も生き続けてるんですよ」って主張してるから哲学的には俺の言ってることとものすごい一致してるな。気付いて笑っちゃった)でも分かるんだけど!強いなあとは思うけど!そういう人間がね、強いなあとは思うよ。メッセージの優しさは分かるけどね。

けどあくまで漫画として、フィクション、面白い大嘘としてね、(現実もメッセージも知ったこっちゃねーってことね)俺は友達を殺したやつは許さん!と怒って欲しいし、メタファーみたいなのに頼るのってあんまり好きじゃないんだよね。結果的に対置してしていってメタファーになるのは良いんだけど、なんつーかね。

俺とにかく馬鹿だから本当にダイレクトアタックが好きなんスよ。見終わった後にボロボロ涙こぼして泣き笑いながら「よし!頑張るぞ!」ってなんのわだかまりもなく前向きに言える話が一番好きなの。

勿論ね、NOT FOR MEなだけじゃんってのは分かってるけど、これは敢えて言わなきゃいけないことなんだよ。俺が俺でいるためにはね。こんなのはベストじゃないと。すまんね。

要は俺のベストとしてはマキマさんの「支配って気持ちいでしょ。争いもないよ。つまらない映画も必要ないよ」ってテーゼに対してデンジくんが他のキャラのこと汲み取ったり自分の人生を考えながら「確かにそうだけど、それじゃあ良いこともないじゃないですか」みたいなアンチテーゼをかましていくのがベスト。父親を殺してしまったこととかアキくんを助けられなかったこととか、そういう呪いがパワーとかポチタとかの存在で祝いに転じて勝つってのが一番好き。その上でクソを認めるってことは支配も認めるってことに繋がってマキマさんを食うってのが良いかなあ。

再三言うけど物語の解釈とか作者が何を書きたかったかとかそういうのはわざと度外視して俺にとって漫画とは?という尺度の元「こうじゃなきゃヤダ!」って話ですよ。

 

後は面白いなあとか上手いなあってところの話。

がっしりした機動隊の中にマキマ対策隊という超常能力部隊がいるのはかっこいい。燃えるね。

それとコベニちゃんがマジでゴミクズキャラですげえウケる。ハンバーガーショップチェンソーマンに店員が殺された時、他の店員は驚いてるんだけどコベニちゃんは驚いてないんだよね。元々そういう戦場に居たってのもあるけど、それでも人が死ぬという恐怖体験してるのにすぐ泣くコベニちゃんがビビらないのって変じゃん。

コベニちゃんが泣いたりビビったりする時って他人に怒られるときなのよ。自分に危害が加わる時だけめちゃくちゃ泣くの。コベニちゃんは自分さえ良ければ後はどうでもいいって価値観持ってるの。だから人が死んでも気にしないし、自分が助かるなら人が死んでもいいと思ってる。

これは一番「被支配」の性格だから「支配」との対置としてラスト付近コベニちゃん出してきたんじゃないかと睨んでるね俺は。悪い意味でのガキなんだよね価値観が。そいつがずっと泣いてるからもう本当に面白い。あの回は他の部分も含めてめっちゃウケた。

10巻最後らへんのバトルは、竜騎以降の特撮ものっちゅーか、こういう悪の仮面ライダー的なもの+庵野みたいなアニメだからこそより好き勝手出来るってのをやりたいってのはすげえ分かる。バトルに関してはホンマにかっこよくてワクワクする。三次元というか肉弾戦を広範囲で行うのとかね憧れるぜ。

あとはマキマさんだけが知ってるチェンソーマンに食われた恐怖「死の他にあった4つの結末」「子供の精神を壊すとある星の光」とかはものすごい妄想が捗ってワクワクするから超好きです。そういうファンタジーな妄想が現実にあったんだ!それがないのはこういう理由なんだ!って、絶滅した恐竜やオーパーツみたいなもんでね、楽しいのよ。

大体こんなものか。

 

まとめ?

好きな部分も多いし分かるんだけどドラマ部分に関してはド直球ストレートが好きなんや俺は!だから許さん!っちゅー話やね。

 

終わり