見るなキタ━(゚∀゚)━!

トイレの「小」の方で流せるタイプの文章を書きます。そしてお前を許さない。

映画『翔んで埼玉』

映画『翔んで埼玉』たしま見

結構期待してたけど、原作が3,40年前らしくそのせいなのかちょっとなあ。ギャグ・コメディだからこそやってほしいことがあってそれがないから星3くらいかなあ。ノリ自体は全然好きですけどね。

 

あらすじ

「結婚するからやっとこのだ埼玉から離れて東京で暮らせる」という娘を車で式場まで運ぶ車内ラジオで埼玉の知られざる都市伝説が語られるところから始まる。

東京一強の世界。都会レベルが低い者たちは排他される時代。特に周りの県民は東京に来るには通行手形がないと入県もできない圧政を強いられていた。

そしてそれはある名門学園でも同じで、都会に済む気品あふれる人間が上に立ち、埼玉県民などは下級の人間として差別されていた。

そんな名門学園にある日、ものすごい都会のオーラを放つ男が入学し、その圧倒的な都会の力に学園のトップもあえなく陥落。

しかしその男は実は埼玉県民で、父親の命により東京都の通行手形制度を撤廃させるために活動していた。

東京に潜んで革命を狙っていたが埼玉県民であることがばれ逃亡。その過程で同じく通行手形を撤廃させようと目論む千葉県民と衝突しながらも自身の任務を遂行しようとする。

任務を続けていてると、通行手形がなくならないのは東京都知事が闇通行手形を発行させることで金を儲けているためであることが分かり、埼玉県民と千葉県民は協力して東京に謀反。通行手形の撤廃を認めさせる。

この都市伝説をラジオで聞いた、結婚する娘を送る夫妻は大号泣。まさかの相手側も同じ状況で新郎に「地元愛を持って埼玉で暮らそう」と言われる。都市伝説でそんなバカなと落胆したが、実はその裏では本当に埼玉解放戦線が動いており次は「世界埼玉化計画」を標榜していた…。

 

みたいなので

 

感想(前置き)

好きなものはなにか、嫌いなものはなにか、そして嫌いなものをどう変えたら好きになれるかを考える。それが物語を作る基礎となる。とピクサーの人が言ってました。そのための感想です。

なのでもちろん「この映画の旨味はそこじゃねえ」ってのは分かった上で「うるせえ」と言い放ってますワ。

 

感想

設定がバカバカしくてダメとかそういうのはなくてむしろ好きなんですが、キャラの気持ちまで「ギャグだから」にされると俺はダメなんです。

例えば学園トップのヒロイン(性別とか関係なくポジショニングで使ってます)が主人公に惚れてそこから彼のために尊敬していたお父様に逆らったりするんだけど、俺は惚れるのに理由が欲しい。現実ならかっこいいとか素敵だけでいいけど、フィクションで俺が好きなのは「あ、これは惚れるのも仕方ないな」って分かるくらい主人公が良いやつであることが大事なので、…なんていうか、俺の中で「このヒロインが主人公のために命かける理由ってなに?」ってのがずっと疑問にあった。

そうしたらどれだけ一生懸命やっててもギャグが面白くても入ってはいけない。おそらくそもそもとして主人公の「埼玉県民としての誇りを取り戻す」という行動理由に納得できてなくて、俺としてはそれが一義にあって良いんだけど、奥底では虐げられてる人に手を差し伸べる人であって欲しい。手は差し伸べてるんだけど、「誇りを持て」ということで手を差し伸べてて、俺が見たいのとは逆。

だからヒロインがトップの座を引きずり降ろされて周りの生徒に「こんなものか」と裏切られた時に主人公が「君も並の努力ではここにいないだろう」とかって認めることで仲良くなるとか、そんな感じなら好きだった。

まあ、そう、自分の理想像を言うと、埼玉ってすごいなっていう方向に進むんじゃなくて、そもそも争い合うことに意味はあるのか?って方向の方が好きで、てっきり作中の物語の聞き手である新婦が最後には「土地とか関係なく結婚できるのって、それで幸せかもね」みたいな還り方するのかなって思ってた。

ら、最後まで埼玉ってなんなのよ!って、埼玉をバカにしてて終わりでも埼玉って大バカじゃんで終わったのがあんまり好きじゃない。短い話ならそれでもいいんだけど、2時間あって結構な壮大なサーガを語られたオチが「埼玉県民ってダサいよね」と言ってる人の気持ちも変えられないのはちょっとなあ。

あとは埼玉県民の苦しみってのが俺としては伝わってこなくて、東京都民に見つかったら潰されるとか分かるんだけど、そもそもなんで東京に行きたいのかがないし、だから「可哀想だな」って気持ちも湧かない。

東京行って捕まるんなら東京行かなきゃいいし、それで生活が苦しいというのならそこを描かないと。その上で、でも東京に行ったら排除されるってシーンがあれば解放戦線の説得力も増すかな。

ギャグはギャグでいいし、埼玉VS千葉で出身有名人勝負するところとか好きなんですが、気持ちまでギャグにされるといけ好かないですね。申し訳ないけど。

もしあの場にクレヨンしんちゃんがいたら「オラ埼玉好きだけど争う必要はあるの?」とかGACKTに問いかけてると思うんですよね。「なんで東京にそんなに拘るの?」「埼玉も楽しいゾ」友達も家族もいるし、って言ってる。俺はそういうの期待しちゃってましたね。

「埼玉県民の誇りを取り戻すぞ!」と戦うが内紛が起こったり千葉県民と争ったり「なんだこれは」ってなっちゃうって展開。何度もいうけど俺はそういう方が好き。

オチの「実はこの都市伝説は本当で、裏では世界埼玉化計画が進行していた」というのも、まあある意味都市伝説としては正しいけど、「私を倒しても第2、第3の魔王が現れるだろう」みたいなオチは個人的に気持ちいい終わり方ではない。

 

好きだったのはギャグ設定だからこそ割と冒険感あるスケールのデカさで、列車で危険地帯を通るとか、そういう昔のアニメと子供向け小説みたいな旅路が好きだった。色んな場所に行って戦争みたいになるスケールは好き。

 

まとめ

ギャグもコメディも好き。コテコテのどっかでみたことあるようなテンプレや何その馬鹿げた設定ってのも好き。キャラがどれだけ奇抜でも良い。けどギャグ・コメディだからこそ綺麗事を語って欲しい。

設定をリアルにすればするほど綺麗事って語るの難しくなると思っていて、やっぱり現実って複雑なので「愛が全てだよね」とかなかなか言えない。

でもギャグやコメディ、リアリティレベルの低い子供向け話とかだったらそういう複雑さを全部排除して気持ち勝負に出来る。現実で本当はもっと色んな問題が在るかも知れないところを恣意的に無視して綺麗事を説得力を持って言える。俺は、だから「バカだなあ」って笑える作品が好きなんですよね。

そんな綺麗事を本当かもと思わせるために、気持ちにだけは嘘をついてはいけない。そこの部分までなあなあで「ギャグだからなんとなく熱いでいいんだよ」ですましてはいけないと思う。むしろ気持ちこそコメディの核だと思う。

という俺のこだわりです。他の人がどう考えるかは知らないですけどね。

 

終わり