見るなキタ━(゚∀゚)━!

トイレの「小」の方で流せるタイプの文章を書きます。そしてお前を許さない。

映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』

映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』見たぜ見たぜ見たぜぇ!

 

ネタバレはある

 

まあ、そういう答えに行くよねえという、ちゃんと終わらせるにはそうだよねえというところに帰結。エヴァだから点数は付けられないっす。

 

あらすじは無理です。かなり大雑把に言うと

地球も人類もめちゃくちゃになったせいでシンジくんはめちゃくちゃ落ち込んでいる。そんなめちゃくちゃな世界の中でも成長して楽しく暮らしている大人になったクラスメイト達に会う。シンジくんやレイ、アスカはその村の中で暮らしていく内にそれぞれちゃんと居場所を見つける。

元気が出たシンジくんは自分がやったこと=世界をボロボロにしたこと、だけどそれは故意ではないこと、その重みを見極めてケジメを付けに父親・碇ゲンドウがやろうとしている人類滅亡を止めに行く。

そして最愛の人を失った父親の孤独と対峙したり、他のエヴァンゲリオンチルドレンたちに手を差し伸ばすことで、嫌なこともあるけど良いこともあるこんな世界で生きていく術を各々見つけだして、暮らしていく。

 

って感じ。多分。かなりシンジくんの心情寄りのまとめ方。

 

感想(前置き)

かなり好き勝手言う。みんなにとっての価値とか、映画における良さとか、そんなことは分からないので、俺にとっての価値や好き嫌いの話をします。

 

追伸

見直すと結構辛めのこと言ってるので追伸をまず言う。

エヴァンゲリオンという、ある人にとっては呪いである人にとっては終わらない物語は綺麗に終わった。少なくとも俺は今までのエヴァ作品を見た後のわだかまりや取り込まれるような感覚はなく、言うなればトランス状態から催眠解除音声を聞いたときのような晴れやかさはあった(えっちなたとえですまん)。スタッフロール後の「終劇」が出た時、合掌した。いただきました。ごちそうさまでした。

 

その気持がある上で、そういう気持ちとは別腹で以下

 

感想

「まあ着地するならそうだよなあ」ってのが見終わった感想。セカイ系というか、ブラッドミュージック系というか、すれ違いも争いもない、喜びもない代わりに悲しみもない「理想の世界」を「そうじゃないよ」って言うなら、「日々の暮らしの中でみんな幸せに生きている。生きるということは退屈と戦うことだ」みたいなところに行くよなあ。色んな精神世界閉じこもり系の話、『海辺のカフカ』だったり、なんなら『NARUTO』の無限月読だったりも、現実は痛いけどその痛みも引き受けて、でもだから幸せにだってなるじゃんという帰結。それに「理想の世界に閉じこもる」というけどみんながみんな旧劇シンジくんやゲンドウみたいに閉じこもりたいわけじゃない、今のまま生きて暮らしたい。そう思う人にまで「これが理想だろ?」と押し付けて巻き込むのはエゴじゃんっていうね。

 

余談になるけど、

デジモンラスエボにしても、見てないけどドラクエ5にしても、続きを求められる長寿コンテンツは「虚構ばっか見てんじゃねえよ」ってところに行きたいらしいな。作ってる側はそう思うだろうし、まあ見てる側に対してもそう感じないわけでもないけど、なんだかなあ。ここは俺のフィクションに対する考え方の違いなんだけど、俺は糸井重里の「こっちはなんとかやっていけそうだけど、そっちはだいじょうぶかい?」という問いかけがラストに出来るような話が良いなあと思ってるのよ。

シン・エヴァは、そういう意味ではかなりマイルドな言い回し(物語)だったけど。

 

閑話休題

 

村での生活とかさ、人の暖かさに触れたレイがそのままシンジくんとの適切な触れ合いをして、シンジくんも回復したりとかさ、そこから村で生きたいと願ったレイの思いやそんなレイが愛した村、クラスメイトたちの思いを汲んで戦場に赴くのとかさ、良いんだよ。すごい好きなんだけどさ。

正直そういうのは俺の中で『からくりサーカス』が最強なのよね。(あくまで俺の話)。そしてエヴァンゲリオンからくりサーカスとかとは違う方向性でめちゃくちゃ面白いから面白いのであって、ぶっちゃけると俺の中で想像を超えなかった。エヴァは今でいう『チェンソーマン』『呪術廻戦』とかの領分で、俺の解像度が低くて先が全く予想できなくて、でも面白い作品なのよ。でもシン・エヴァは結構俺の好きなものの領分だったから大体話が予想通りで、しかもそれをめちゃくちゃ超えるってこともなかった。

要するにエヴァに求めているものではなかった。

けど作品としてそうなって欲しい展開ではあった…。

難しいね。

 

身勝手な事言うと、やっぱり旧劇が一番良くて、なぜならめちゃくちゃ虚構(みんなが一つになって気持ちよく人類滅亡する)だから。そもそもアニメにしろ漫画にしろ、そもそも虚構なんだから虚構でいいじゃんって思うんスけどね。

と、言いつつ普通の映画が「虚構にとどまろう」と言うエンドだったら(あくまで俺の理想としては)許さないのでこれもまた難しいですね…。エヴァ旧劇はあれだけすげえスケールで人類滅亡を描いたからみんな一つになりましょうエンドでもあまりに気持ちよくて許せたという後ろ暗い快楽だから。

 

なんてーか、『トイ・ストーリー4』見たときと似た感覚。

作り手としてはキャラクターとしての幸せを作らなきゃってつもりで作ってんだと思うし、ファンからしたらウッディの幸せを見られるんなら面白いってことなんだろうけど、トイ・ストーリー3が完璧だと感じた俺からしたら別にそこはさして重要じゃない。

面白くないとは言わない。だけどそこまでキャラに責任を持つ必要があるのか。幸せにはなって欲しいと思うけど。

例えるなら、ワンピースのルフィが海賊王になったとして、「ルフィの目標は叶えたけど、彼の人生そのものは幸せになったか描ききれてない」とか言って海賊王になった後の話を描くみたいなことで、そこまで別に見たくねえ。そりゃルフィが面白いやつだしきっとその後の人生も面白い話に出来るだろうけどそこまでは良いよ。

あの、俺の考え方がかなり藤田和日郎先生に影響受けてるからさ、『月光条例』描いたあとに藤田先生が言ってた「最終回の後、主人公の月光がどうなるか。それは読者のみんなが考えて良いことなんだよ」ってのが物語の良いあり方なのかなと思う。終わった物語の主人公がどうなるか、それは読者が彼ら彼女らを幸せにしてやれば良いんだよ。

だからトイ・ストーリーも3のその後は見てるほうがウッディの幸せを願えばそれが本当のこと、それでいいじゃん、って思うのよね。

 

また閑話休題

 

トイ・ストーリー4を例に上げて何が言いたかったかと言うと、キャラクターを幸せにしようとしたらまあこうだよねっていう、キャラに対する責任はあるけど、割と惰性というか(失礼な物言いになってしまうけど)、魔王を倒した勇者のその後みたいな、そこまでやる必要性ってあるのかなあ、なんて思っちゃうのよね。

 

ただエヴァは人類補完してしまうと人類が滅びて幸せな未来もないから、想像もできなくて、こうするしかないのかなあとも思う。

 

これは自分に対する気付きだけど、人によっては熱量に感動することがあるらしい。例えばガルパンの戦車描写とか、別になくても良いような圧倒的なこだわりに熱量や愛を感じて感動する人がいるっぽい。だけど俺はあんまりそういうのに感動しなくて、話の好き嫌いと俺の琴線に触れるかっこよさがあるか否かしかないんみたいなんだよね。

シン・エヴァ、たしかに実写みたいなカメラワークがあって、きっと面倒くさいことをすごい技術でやってるんだろうなとか、このシーンって凄いんだろうなって頭では理解できるけど、それで俺のテンションは特にあがらなかった。

 

エヴァという物語、シン・エヴァという作品に対する感想は概ねこんな感じかな…。あとは個別にキャラに対する感想はある。けど殊更口にすることでもないかなあ。

 

真希波マリがそういうポジションに行くというのは意外だった。というか、旧劇エヴァに行かないためにマリが出たのであれば必然ではあるけど、そんな雰囲気もなかったからなあ。

でも、終わってみれば確かにチルドレンの中で一番大人と言うか、陽キャで単純に人が好きなキャラ、人を叱ることも褒めることも出来るコミュニケーション取れるキャラではあるなあと思った。

 

最後リクルートのCMみたいな走り去りかたしたね。

 

考察は分からんけど、設定については、神様が残した運命を変える何某かがセカンドインパクトを入り口とした地球の底に存在して地獄の門虚数宇宙があるっていう超越者や神話的世界が手順によって開かれるってのは燃えます。ゴルゴダオブジェクトとかいう唯一運命を変えらるものとか、それが世界の最下層に眠ってるのとか熱いよねえ。

それとクソデカいもの好きとしてはクソデカい槍がクソデカくて燃えた。

 

単純にカッコいいシーンはあって、覚悟を決めてヴンダーに乗ったシンジくんがめちゃくちゃなってビービーアラートが鳴ってる中で静かに座ってて、ヴィレの大ピンチだ!ってときに無言でスッと立つシーンとか「いやこいつ覚醒した主人公!」って感じでカッコよかった。

毎度のことながら戦闘シーンは良かったし、量子テレポーテーションしてる碇ゲンドウ乗り込む13号機はちょっと笑いそうになったけど。それでいうなら第三東京のビルに膝立てて座るゲンドウ13号機にもちょっと笑いそうになったけど。

 

好きなドラマ部分はシンジくんが初号機で父親を追いかけようとするのを、ニアサードインパクト(シンジくんが起こした災害)で家族を亡くした人たちがキレて止めるシーン。自分でも本当はシンジくんだけが悪いんじゃないし、被害者でもあるシンジくんを守りたい気持ちもあってどうしようもないってのが良かった。

その後の、ミサトさんが「未だにシンジくんは私の保護下にある。何が起こってもシンジくんのことは私が責任を取るわ」っていう、柱合会議で炭治郎の妹の責任を冨岡義勇と鱗滝左近次が請け負うみたいなくだりも良かった。

 

あとは上にも書いたけど村でのレイを中心としたやりとりは好きは好きだよ。

 

まとめ

破でわけわからんままミサトさんに「願いを叶えなさい」と背中を押され結果的にニアサードインパクトを起こし、なのにQでめちゃくちゃキレられるシンジくん。お前の身勝手な行動だって言われて、わけわからんけど自責して、カヲル君にたしなめられ、どうやら希望の槍を引き抜けばわけわからんけど許されると分かって、これでどうにかなると思ったらカヲル君が爆死しして、どうしようもなくて失語症になってしまったシンジくん。

だけど、キレてる人はたまたまシンジくんと似た、負った傷を庇えないままの人達ってだけで、ひとたびもっと広いコミュニティに出れば傷付きながらもその傷のおかげで幸せになってる人も居て、結局事象は捉え方次第だって分かってる人たちがシンジくんに優しくしてくれて、なんだよ人を責める人も人と向き合えてないだけじゃないか、僕も僕を楽観も悲観もせず見直して、みんなと向き合おう。生きるってそういうこと。みんなガキシンジなわけなくて、それぞれ成長して気づく人は気づいて、その気付きをシンジくんに教えて一緒に頑張っていけば良い。世界ってそれくらいの広さはあるもんですよ。

 

あとこれ、大人になったとか子供のまんまねとか言ってるけど、適切なコミュニケーションが取れるか、相手のことを思いやれるかってだけの話で大人とか子供の話じゃねえだろって思います。身も蓋もねえ

 

終わり