見るなキタ━(゚∀゚)━!

トイレの「小」の方で流せるタイプの文章を書きます。そしてお前を許さない。

映画『ペーパーマン』

映画『ペーパーマン』をwow-wow-yeah見た

面白くない、面白くないんだけどちょっと好きだったから星3強くらいあってもいいかも

 

あらすじ

中年でスーパーマンのイマジナリーフレンドがいる作家の主人公は新作を書くために妻と新しい家に引っ越してきた。妻が医師の仕事のために出ている間、執筆に集中しようとするが、ソファの色合いが気になったり、イマジナリーフレンドが話しかけてきて集中できないので散歩に出かける。

そこで彼はどことなく悲しみや不満の翳を持つ10代半ばの少女が気にかかり、思わず子供もいないのにベビーシッターの仕事を頼む。

子供がいないと分かったにも関わらず一応仕事は引き受けてくれてスープまで作ってくれたことに親しみを感じる。

一方で妻とのやりとりはうまく行かず、些細なことで苛立ってしまいすれ違う。

同じように少女の方もベタベタとくっついてくる彼氏に嫌気が差していた。

主人公と少女はお互いの気持が恋愛や性愛に過ぎないのか微妙な距離感で仲良くなっていく。

ある日少女のパリピな友達が開くパーティのために主人公は自分の家を開放する。主人公は未成年に混じってワーワー言っていたが少女の彼氏が他の女とくっついて所を目撃し激昂、それを見た少女がもうお開きよと解散する。

閑散とした家に残った2人。主人公を膝枕しながら少女は自分の過去を語る。「双子の妹が死んだのは私が逃げたから。一緒に海に入って泳いでいったのに、自分だけ怖くて逃げたの」

その話を聞いて主人公は彼女に親友として、一人の人間として好きだと告げる。

その後、2人で添い寝してる姿を妻に見られ大喧嘩になり最終的に妻が子供を作ろうとしない理由の話になる。それは主人公が子供のままだから。

主人公はとうとうイマジナリーフレンドに別れを告げ、大人になろうとするのであった。

 

むずいな。プロットポイントがハッキリしてないか、俺の解像度が低いか。

 

感想(前置き)

好き嫌いを語ります。歯に衣着せるのはあえてやりません。気を遣うと感想が鈍るからです。すまんね

 

感想

正直いうと、イマジナリーフレンドがスーパーマンの意味ないし絶滅動物しか愛せないってのと大人と子供の話と、少女の抱えた過去と、その辺の結びつきが緩いから面白くはない。子供がいない、子孫を残せない、ここで自分が絶えるって話ともそれぞれ薄ら薄ら繋がってはいるけど全体的にふわふわしてる。イマジナリーフレンドと別れて大人になるって話なら『トイ・ストーリー3』が(ちょっと違うかもしれないけど)最強だと思ってるから、あれくらいイマジナリーフレンドとの癒着や思いを描いて欲しい。

 

けど2つ好きな要素があって。

一つは子供から大人になるとか、大人になっても子供のままでいるとか、そういうテーマって惹かれるんですよね。だからこそイマジナリーフレンドの話は好きで、『結晶塔のエンテイ』も好きだし『ブリグズビー・ベア』も好きだし…。この映画はあんまりそこはなかったけど。

もう一つは中年のおっさんと少女が友情を育むっていうのが良いんですよね。直球に擬似的なパパと娘の関係。

 

うーん、でも今めっちゃ考えてるけど、擬似的パパと娘の関係好きだなあと感じつつ、それってどこが好きでどこに辿り着いたらいいんだろうと考えるとそんなに浮かばないから緩い好きかもしれない。

 

お互い心の部分で求め合っていて、少女の方は身体目的みたいな彼氏への不信感、だけどそこに頼りたくなってしまう寂しさや孤独。中年のおじさんの方は可愛そうな子に対する同情というか、優しさと、性愛のLOVEではないので少女に頼られることで埋まる自信や大人であることの錯覚。客観視すればキモいというか独善的ではあるけど、お互いが求めるものを持っていて、しかしどう考えてもずっと一緒にはいられない関係だから別れの時が見える寂しさ。がいいのかなあ。最後に別れるのが誠実さってやつだよね。別れが基本的に好きなんだよね。特に依存みたくベタベタしてる人達の別れ。

 

あと好きだったのは、少女が「妹を置いて自分だけ海から引き返した。何が怖かったんだろう。8歳で何も知らなかったはずなのに」みたいな独白するシーン。俺はクソちっさいガキンチョの恐怖心から起こる悲劇とそれを引きずってるの大好きなんだよね。

 

ここ書いてる時すげえ眠くて眠ってました。なので以上…

 

終わり

アニメ『ワンダーエッグ・プライオリティ』一話

アニメ『ワンダーエッグ・プライオリティ』一話を…見た。

今季のアニメらしい。なんか適当にザッピングのノリで見た。

基本的にアニメは偏見から入るんですが、その分面白かった時面白い!これ好き!

 

あらすじ

オッドアイが原因で虐められている高校生の女の子が主人公。ある日死んでたカナブンのお墓を作って上げたらそのカナブンが生き返り卵の形をした「友達ガチャ」を引かせてくれる。

友達ガチャを引くことで学校をモデルにした謎の世界に行くと「見て見ぬ振り」という行為を具現化した奴らが襲ってくる。堪らず逃げた先でガチャで引いた卵を割ると中から同年代の女の子が。

どうやらここは夢の世界で主人公は死ぬことがなく、敵が狙っているのもガチャから出てきた女の子で自分に危害は及ばないことを知る。ガチャから出た女の子に巻き込まれたくない主人公はその子と別れを告げ一人屋上へ赴く。

すると屋上には虐められ不登校になる前に唯一友だちになってくれたが、ある日自殺してしまった親友の石像があった。

主人公は自殺してしまった彼女のことを思い、もう「見て見ぬ振り」はしないと、ガチャから出てきた女の子を助ける。

助けた女の子は何らかの理由で消えてしまったが、代わりに親友の石像が温かさを取り戻す。

主人公はこうしてガチャから出てきた子を助ければ親友が生き返るんだと理解し、再びガチャを引きに行くのであった。

 

みたいな。まあ一話だから謎も多い。

 

感想(前置き)

俺の思ったことを言葉にするだけ。各々の好き嫌いはある。それでいいと思います。

 

感想

何が俺がこの話良いな!と言えるキッカケになったかと言えば、「自分は傷付きたくないと思ってるやつが一度見捨てた人をやっぱり助けに行く」という成長が好きだから。

「横断歩道はみんなで渡っても怖いんだ」って台詞がいいなあ。赤信号みんなで渡れば怖くないのもじりだよね。多分。みんなで信号無視したら怖くないとは言うけど、自分は「赤信号で渡っちゃダメじゃん」って気付いて、でもみんな渡ってるから付いていく。けどダメだって気付いてるから怖い。って話かな。

ただコレを見た時俺がダイレクトに感じたのは横断歩道という此岸と彼岸を繋ぐ道、車が行き交いルールで縛られた道、みんなで渡っても怖い道を一人で行くという覚悟を感じた。から好き。みんなが「別にいいじゃん」って言ってることに自分一人で立ち向かうの好きなんだよね。

 

とにかく一度仲良くなった虐められてる人を自分には関係ないからって見捨てたシーンと、そこから期待する心の変化のシーン、「そんな自分は嫌だ!」って言ってくれたことでめちゃくちゃ惹かれました。

敵を倒した後の「なんかやっちゃいました」みたいなポカーンからの「やったよ!」のピースもマジでかわいい。やっぱり一回キャラのことかっこいいと思えるとその後のリアクションもかなりよく見えてくるな!

 

そうなると一話特有のぶっ飛ばし設定も興味が出てくる。

夢先案内人によると夢の世界で助けた女の子は「彼女も他の親友が助けてくれるまでは石像のままだ」って言ってたから多分死んでんだよね。そしたら主人公がやってるのは苦しくて死んだ子達の魂の救済になるし、主人公もこれから沢山やってくる「死(いじめ)の原因」と向き合って成長していくことになるから、どんどんそうやって大きくなっていってくれるとめっちゃ好きだなあ。

しかも夢の世界は不死身だけど、現実世界で痛みが一気に表面化される設定だから「今死ななくても後で死ぬ」「それでも今傷ついてでも助けるか?」って葛藤が出来るし、結局夢の世界で強くなっても現実では意味ないから「主人公にとっての本当の恐怖」である現実のいじめとどう立ち向かうかって展開もできる成長して前向きに進んで欲しい。

後はファンタジーぽいけど実際どこまで現実でどこまで嘘(主人公の妄想?)か分からないので、本当に主人公がクエストを達成していけば親友は蘇るのか、(生き返るとは誰も言ってないので)生き返らなかった場合目標の喪失になるからそこで主人公はどういう選択が出来るのか、考えるとワクワクする。

一話の終わりやパッケージを見るとまだ何人も主人公と同じ立場の人間が出てくるようなので、そいつらがどう関わってくるかも見ものやな。

向かうべき方向は見えているので後は期待に答えつつどれだけ捻ってくるか。マジでいい話になって欲しい。

まあ欲を言えばオッドアイでそんな虐められるのかって疑問がなくはない。俺が中学生の頃とそんなに学校の雰囲気って変わってないんだろうか…。

他には個人の趣味ですが、いわゆる異世界みたいなところに行って主人公がすっと現状を受け入れてしまうのはあんまり好きくない。せめて「ああ、夢か」ってお茶を濁すとか。まあリゼロが受けてるのを見たら現代の若い視聴者がそういうの好まないのは分かるのは分かる、けどやっぱ「キャラのリアリティこんなものなのか」って思っちゃうから俺は「なにこれ!」って主人公に言って欲しい。

 

まとめ

人を見捨てる自分に嫌気が差して勇気を出して戦うって話が大好きなので、こういう真っ直ぐな心の変化をやってくれると嬉しい。俺としては一ミリも捻らなくていい。夢の世界だからそんな前向きな心の気持ちが武器になって現れるってのも好き。俺は「気持ち=派手な勝利・魂のデカさ」にしてくれる往年の少年漫画的な趣向は大好きです。

 

終わり

映画『マネー・ショート――華麗なる大逆転』

映画『マネー・ショート――華麗なる大逆転』見たってよ

サブプライムリーマンショックの話で全然分からなかったけどすげえ好きだった。ほんとにチンプンカンプンだったのに……。ほぼ星5でお願いします

 

あらすじ

サブプライムローンによる住宅バブルが弾けアメリカの金融機関が崩壊するまでの話。その事実にいち早く気付いた4人(4組)が崩壊を予見し大金を儲ける群像劇(でいいのか)である。

住宅ローンの債務が不履行になったときに担保として住宅を差し押さえることをモーゲージといい、その債券をモーゲージ債という。住宅の需要があがりモーゲージ債はうはうはだったが、それは見かけ上住宅の値段が上がっているだけでいつか弾けるバブルだと気付いた変わり者の金融トレーダーがいた。

なので誰もクソほど下がるなんて思ってない債券を利用して金融トレーダーは保険をかけることを思いつく(CDS)。住宅の価値がクソほど下がったら(モーゲージ債が紙切れになったら)貸し付けてる投資金融からお金回収できなくなるので、その時は代わりにお金払ってくれませんか?勿論それまでは保険料払いますから。という保険。銀行側は住宅の価値が下がるなんて一ミリも思ってないない、モーゲージ債は超安全な債券だと思ってるので「しめしめ、保険料だけがっぽり儲けてやるぜ」と考え契約成立していく。

こんなことをしていると知った銀行マンが自分もCDSにベットしたいとヘッジファンドをやってる会社に売り込みをかけ、世の中の不正は許さねえみたいな変わり者の会社に現況を伝える。変人ヘッジファンドたちはそんな訳無いだろと思いながらも実際に今住宅市場がどうなってるか調査をした。

時を同じくして若い投資家2人もひょんなことからこの事実を知り、知り合いのマネーゲームに嫌気が差して自然派になっちゃった元トレーダーと連絡、どうにかCDS(保険の契約)を取ろうとする。

彼らが住宅市場を独自に調べていくとすでにローンの不履行は始まっており住宅価値が下がるのは火を見るより明らかだった。それなのに下がらない住宅価値に、周りの人間はCDSにベットしてる主人公たちを馬鹿にしこんな無駄なことはもう辞めようという。本人たちも不安になってきたが、もしかしたらという思いの元実際に金融市場を回している銀行マンや投資金融会社が集まるフォーラムへ参加するためラスベガスへ向かう。

なんと銀行マンや金融会社の人間は本当に現況に気付いていなかったのである。それどころか金を儲けられれば何をしても良い、気付いている人間も別に「今」証券が売れれば後はどうなってもいい、と考えていた。

そんな現実を見た彼らはCDSが確実に大金をもたらす保険だと確信する。

しかしそれは同時に莫大な金を担っているウォール街の破滅、サブプライムローンの破綻、失業率は一気に増え死者も大量に出てくる、暗黒時代の到来を意味していた。

予想通りモーゲージ債はゴミクズになり、債務不履行CDSの価値は上昇、最初からベットしていた4人(4組)は大金を得ることとなる。

だが、こうなることを分かって不良債権を売っていた証券会社たちは自分たちもCDSで不況を乗り切り、保険料だけ貰ってた会社も潰れたらアメリカ金融が破綻するということで国の介入が入り難を逃れる。

結局何も知らない投資家やサブプライムローンで半ば騙されていた人達、移民や貧困層などが一番被害を受けただけになり、儲けた4人も虚しい金を手に入れて世を憂うのであった。

 

というような感じだろうか。

正直「証券ってなに~?」「債務ぅ?」というレベルだったので、数時間調べたあともう一度見るという暴挙に出ました。そんなことをしてる場合ではないのに。「クソ…なぜオレはあんなムダな時間を…」の三井くんの気持ち。

 

感想(前置き)

好き嫌いを語らうので、嫌いとか言ったりこうした方がもっと良いのに、というけど俺が好きな料理の味付けの話で一般論として語ってはないので大目に見てね。特殊論です。

 

感想

シン・ゴジラ』。何が好きか考えた結果、シン・ゴジラに近い面白さだったのだろうなあと思った。

いつもミクロな視点で生きることについて語る話が好きだと言ってるんだけど、それとは別口にカタストロフが好きらしいですね。この作品の半ばで村上春樹の「人々はみな心のなかでは破滅を望んでいる」というような言葉が引用されるけれど、まさにそれで、俺は世界の破滅を見たい。世の中が狂ってしまうのを見てみたい。

主人公たちはどんどん勝利に近づいているのに、世界は破滅へのカウントダウンを刻一刻と鳴らしているってシチュエーションが好きだなあ。『三体Ⅱ』で「水滴」と呼ばれる敵の探査機がやってくるんだけど、みんなそれを良いものだと思ってる中、一人だけがこれはマジでやばいから備えとけっていうエピソードがあるんだけど、あれも好きなんですよね。みんなが楽観してる中、数名が終わりを予感して逆境でも主張し続けるの好き。それこそ『シン・ゴジラ』もそうだしね。しかも結局は「ざまあみろよ」とはならずに、分かってても痛みはある、分かってたからこそ無力感があるってのが良い。いつも俺が言ってる良いものとは逆になるんだけど、良いんだよね。

後はその「終末の過程」を専門用語でまくし立て、全然意味分からないけどとにかくやばい、上層社会のバトルがなんか好き。やっぱ世界政府みたいなのが「世界が滅亡しようとしてるんだ」「どうする?」みたいなのって憧れるし、その下で生活している無辜の民、家族達の話が挿入されるのって良いよなあ。

サブプライムローンの実態を調査するために実際に家を訪れてめっちゃ強面の男が出てくるシーン好きなんだよね。いかにもパッと見は高収入ではない感じの人が出てきて、でも子供もいて家賃もちゃんと払ってるしやっと家が買えて、なのに大家は犬の名前で登録されてローンの支払は滞ってる事になってる。「俺たち家を追い出されるのか?なあどうなんだ?」って聞かれる。けど調査してる人も助けに来たわけじゃないから何も言えないって悲しさが好きだなあ。見て見ぬ振りしかできないし、人は生きてるし。

その後の格付け会社と不正を許さないマンとの問答も好き。格付け会社はクズ債券にも高評価を付けるけど、そうしなきゃ他の格付け会社に仕事を取られるから、私は悪くないわって言う。この仕方ないけど仕方ないじゃ済まない、末端で巨悪の片棒を担いでるのに「私にだって生活はあるのよ」と言ってしまう可哀想さ、でもこの人一人をどうにかしたところで何にもならないやるせなさ。良いよね。

同じようにクズ債券を売ろうとしてることをジャーナリストに伝えるけどジャーナリストもそんな反骨精神見せてクビになりたくない、家族も養わなきゃいけないっていう、そういう奴へのどうしようもない憤りが好きだ。答えがないじゃんコレって。この映画ではなかったけど、だからこそそういう生活を背負ってしまい結果的に悪になってしまってる人達の分まで身を挺して戦う主人公を見てみたいなあ。

個人的にはこういう人達を咎められないけど、だけどデカい悪に負けてほしくない、直接じゃないからって他の誰かを踏みにじって自分だけは自分の幸せを守って安全圏にいるなんて嫌だなあとは思う。捨てることや孤独が一番怖いからこそ捨てることと向き合えるやつが好き。

ちょっとズレたか。

上記の話に付随させると、マネーゲームに嫌気が差した自然派の元金融トレーダー(ブラピ)が、CDSの大成功に踊っている二人の若者を見て、「コレが成功するってことは人々が家を失い、蓄えを失い、年金も失う。金融トレーダーは人を数字としてしか見てないが、失業率が1%上がれば4万人が死ぬんだ」知ってたか!?二度と踊るな!と叱責するシーンは大好きです。

この後のシーン。不正を許さないマンとアジア系の証券会社の人が言い合うシーンで、証券会社の人が「人を騙してるのは分かってる。だが社会は俺を評価している。高値でね。何なら教えようか、俺の価値がいくらか。お前はいくらだ?」っていうのが本当にムカついて超大好き。人が死ぬことと人が死んでもみんなは俺を評価するって2連撃エピソードはかなりぐっと来た。人を騙したり悪いことするのなんて許していいわけないのに、金があってうまく社会でやっていけるから、みんなに評価されるからって正当化されてしまうのって腹立つよねえ。それを価値だと言ってしまうのがね。

この後は金融市場が崩壊して4人が勝つところなんだけど、そこの虚しさも良いよねえ。結局の所は叱責してきた金融関係者と同じことやって金を稼いでしまっているという悲しさ。

不正を許さないマンがムカつく証券マンを倒すのに結局自分も同じことしてるし、それで何にもならない。自分の兄が自殺したのも、語られてないけど多分お金絡みか金融絡みで、不正許さないマンはそれすらも金で解決しようとしたことを悔いるシーンや、ラストにCDSを売ろうとしない、みんなと同じになってしまうからって悩むシーン好きだなあ。

仮面ライダークウガでパンチにパンチで返すのは嫌だって願って非暴力を説いてた五代雄介がずっとパンチで敵を倒すしかなかった、そしてラストバトルでは大泣きしながら敵を殴ってた、あのどうしようもない悔しさが大好きなんだよねえ。憎む力で戦うしかないってのがね…。

 

話は変わるけど、小難しい話が出る度に第四の壁打ち破って「まあ意味わからないだろ?でも良いのさ、金融機関の人達はわざと意味がわからない言葉を使うんだ」とか言ったり、サブプライムや合成CDOがどれだけエグいものか説明するのに、女優とかコックとかギャンブルとかが急に始まる演出が面白かった。小気味いいし「分からなくてもいいんだ」って言ってもらえると視聴者のこと考えてるなって思う。ちょうど意味分からんって時に挿入される、タイミングが完璧だった。中国人がこっち向かってあいつが言ってることは全部ウソとかって話しかけてくるの好き。

 

今度は話はかなり戻るけど、最初にサブプライムローンの異常に気付いたメタル好きの義眼の人が、人とうまくやっていけないってのが好きだった。子供時代のシーンで目が取れるってのが衝撃だし、上の人からめっちゃ叩かれるシーンで、本当のこと言ってるのに「皮肉か?クズが」みたいに言われる悲しさ。愛想が悪いから伝わらない悲しさが好き。『月光条例』の月光みたい。

「人は価値判断を専門家に委ねたがるが、その専門家は事実や調査結果とは無縁の人物だった。彼らが選ばれるのは堂々して親しみやすいからだ」って台詞が良い。愛想のいいやつに良いように弄ばれるんだっての好きなんだよねえ。『ワンピース』のシーザーとかクロコダイルもそうだったし、『甲鉄城のカバネリ』の美馬様も表向き英雄なのムカついていいよねえ。

不正許さないマンが好きだったのも「嘘をついて人を騙してる奴らに怒ってるわけじゃない。嘘つきが成功したことは一度もないからだ」ってのもさ、「なんであんな奴らのいう事聞いちゃうんだよ!あんな奴らがこっちに利益をもたらしたことなんて一度もないじゃん!なんでもっとみんな考えないんだよ!なんでみんな立ち上がらないんだよ!」っていう人類への期待やだからこその悔しさが行動原理になってて良かったんだろうなあ。こいうのってネットだと叩かれる傾向にあるけど逆張り気取ってる癖に意外と「和を尊べや迷惑かけんなや」派が多いからな)<(悪態つくんじゃないよ!)俺は大好きです

 

まとめ

大きな、組織や機関、機構といったものの癒着などによる悪意が好き。「上が言ってる。私は従ってるだけ。仕方ないじゃない」「みんなやってる。こういうものだろう」。

似た意味で金だけが価値だと思って人間を数字としてしか見てない奴らがムカついて良い。金もある意味で「大きな機構」だ。

それに腹を立てる人が居たのは良かったなあ。不正許さないマン含めそういうやつが序盤は世間で鼻つまみ者として出てくるのが良かった。とっつきヅライ嫌な奴っぽく出てくるの。

そしてエンディングというか、今みんな笑ってるけど終末に向かうよって道筋がハッキリ見えるのが良い。期待感や予感は大事だ。

 

余談

一回見て好きな話っぽいのに何やってるか分からなくて我流で調べた結果を添付。多分理解が間違ってるところもあると思うけど、調べる前よりは分かりました。

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絶対合ってねえ~~

でもまあ債券すら分からないよりはマシ!

 

終わり

kanso-memo

思考を整える感想のメモ書き。

 

Twitterでは文字数足りないし、一記事にするのもなあ、と

あとジャンプラの読切作品に対する感想なので、閲覧数少ないのは分かっていてもこんな時代だからどれくらいエゴサされてるか分からんし名前伏せて書きたい。メモです

 

ジャンプラ読切の『LollyLollyPop』

あらすじ

ある監獄に捕まった母と面会するために過去を遡れる主人公が飛行機に乗って会いに行く。しかしその飛行機は墜落してしまうことを知り、過去に戻れる主人公はどうにか墜落を食い止めようとする。更にしかし、その飛行機には自分だけが助かればいいという悪い予知能力がいて主人公の行く手を阻む。自分の母親を投獄した犯人であることも分かりますます怒りを募らせつつも、飛行機の墜落を主人公は防げるか。

 

みたいな話。

 

感想(前置き)

メモっていうか、俺も漫画描きたいので自分だったらこうするな、って感想です。だから厳密には感想ではなく練習かもしれない。もし嫌な気分になったらすまんね。

 

感想

主人公が良いやつだったのは好き。序盤の能力説明で鼻持ちならない客にドーンというところや、自分だけ飛行機事故から助かろうとした時、他の客も助けなきゃってなるのは良い。ただまあ、敵の方を一回殺したから許すはかっこいいけど、ムカつく客を痛い目に遭わせて過去に逆行して終わりってするのは狡さとギリギリな気がするけど。まあいいや。人によるなここは。

 

もし俺が描くんだったら主人公が自分だけ助かるんじゃダメだって決意するシーンと未来予知で燃えてる機内を見た敵が実際燃えていたのは自分だったって気付くシーンが好きなので、そこメインで能力バトルはちょっと抑えるかなあ。能力バトルは敵が買ったと思った瞬間、主人公が窮地なのに笑って勝つみたいな逆転が好きだからそこ一本あればいいかな。

 

まずみんな助けなきゃって決意するシーンに関しては、個人的に現況では取ってつけたような感じするから、まずは「母親に会いたい」って気持ちで一人だけ助かろうとする。これでお母さんに会えるんだ!って。で飛行機からパラシュートで降りようとする瞬間に、「ママー」って子供の泣く声が聞こえる。瞬間、自分のお母さんとの記憶が蘇り、「大事な人がいるのはボクだけじゃなかったな」つって全員が助かる道を考える。

 

敵が炎上するシーンは、まあこれ演出の問題かなって思うけど、敵が「これで俺の勝ちだ!」と勝ち誇って高笑いしてるが段々様子が変なことに気付いて、「ちがう。燃えてるのは機内じゃない。俺の視界だ!」と言って自分が炎上していることに気付く、みたいな方が分かりやすいかなあ。ていうか作者もだと思うけど俺もジョジョ好きだからドドドドド、バァ~ン!!みたいなリズムが良いなあって思う。なんだその抽象的なのは。

 

あとは俺としては母親がもっと出てきてもいい、というか、こんなに優しい母親が投獄されたのはおかしい、それは敵の策略のせいだった、可哀想でしょってのが見たかった。麻薬売買のくだりとかよく分かんないからもっとシンプルな方が俺は好きだなあ。ダイレクトに善悪分かる方が良いなあ。

俺は泣けるドラマが好きで、俺にとって泣けるってのはすごい大切な人が悪いやつに踏みにじられてるとか、何かを犠牲にすれば自分の大切な目的は遂行出来るけど犠牲にするわけにはいかない誠実さや不器用さなのでそれがあれば美味しく頂ける。こことは関係ないけど、夢を追って一生懸命笑顔なやつが悪いやつに虐められて「でも仕方ないよ」って悲しく笑ってるのを見て、夢のない主人公が悪いやつを代わりにぶっ飛ばすとかね。ぶっ飛ばしはしないけど羽海野チカの『スピカ』って読切が大好き。

 

まとめ

4,50ページだと決めシーンって一個くらいに絞ったほうが多分良くて、それが敵の予知を超えていく(機内ではなく視界を燃やす)シーンだと俺は思ったので、そこに繋がるようにすると俺の好みになるかなあ。そこがかっこよく見えるように、前段の決意のシーン、自分だけじゃないみんなを救うんだってところをもっと映えるように構成する。

 

ていうね。

割といつも通りの分量になってて何が「一記事にするのもなあ」だよって思いました。

 

終わり

映画『ティム・バートンのコープスブライド』

映画『ティム・バートンのコープスブライド』を見(けん)

ううん、悪くはないけど分かんない…。星3くらいかな

 

あらすじ

19世紀ヨーロッパ。優しいが気弱で要領も悪いお金持ちの息子が主人公。ある時彼は玉の輿を狙っているある夫妻に政略結婚を調停される。結婚相手である夫妻の娘も「愛がない結婚なんて嫌だ」と乗り気ではなかったが、同じく乗り気ではない主人公が戯れに弾いたピアノを聞いて意気投合。ちゃんと結婚しようと式を開く。

しかし式のリハーサルで、諳誦しなければならない誓いの言葉をうまく言えずリハーサルは終了。たったこれだけのことも出来ないのか、ととぼとぼ近くの森をさまよう。

その森で木々を人に見立てて練習すると、リラックスしたのかどうにか最後まで諳誦でき、彼女に見立てた木に華麗に指輪をはめることができて一安心。

と思ったが、なんと指輪をはめたのは木ではなく死体だった。その死体は自分が求婚されたと思い込み主人公を死者の国へ連れ込んでしまう。

死者の国へ来てしまった主人公は元の世界へ返ってちゃんと結婚するために、彼を連れ去った死者の女性はどうにか彼と結婚するために色々と策を巡らす。

一方で生者の世界では結婚相手が謎の女性と駆け落ちしたと噂になり結婚は破棄、そこで現れた遺産目当ての新しい男と結婚することが決まっていた。

死者の彼女の頑張りや、地上での結婚騒動を耳にした主人公は生き返ることを諦め死のぶどう酒を飲み死者の彼女と結婚することを決め、死者の国総出で生者の世界へ行きパーッと式を上げることにする。

しかし元の世界で彼女の結婚相手が死者の女性を殺した犯人だと知り、主人公はそいつと対決。負けそうになるが、死者の彼女がその様子を見て「本当に結婚するべきは生きてる者同士。無理やり結婚させるなら私もあの詐欺師と変わらないわ」と主人公を守る。

一旦負けそうになるものの、油断した詐欺師が死のぶどう酒を勝利酒として飲み死亡。役目を果たした死者の彼女は生きてる2人を祝福し、満足して空に消えていったのであった。

 

このあらすじ……、ほんまか?

 

感想(前置き)

好きな部分は何が好きか、どこが好きか、嫌いな話ならどう変えたら自分好みになるか、明文化していくことが物語づくりの武器になるとみんな言ってる。歯医者の受付ですら言ってる。なのでそういう感想です

 

感想

好きなところと言えばやっぱりティム・バートンの造形。外国のおとぎ話みたいな姿かたち好き。ディフォルメが効いててちょっと気持ち悪い感じ。それと暗い雰囲気の明るい童話も好きなので、まあ全体的に雰囲気が好きなんですよね。19世紀のヨーロッパってのもいいね。あの時代のゴシックな湿気って良いんですよね。まあもうちっと死者の国の生活感みたいなのがあればもっと好きかも。縦に割れる紳士が一番好きだった。

 

話はねえ、話はなあ、好きな人の本当の気持ちのために自分は自分の欲望を辞退するっていう話は大好きなんですよ。死者の女性は騙されて殺されて結婚できなくて、やっと巡ってきた自分の番だったのに、相手には好きな人がいて、無理やり自分のものにすることも出来るけど相手のことを思って譲る。好きな人のために自分が戦うまでするって話は本当に好き。

なんだけど、この映画は全体的に「欲しい」って気持ちが弱くて、今言った話型になるように動機も行動も振り切ってくれると俺は好きになるなあ。

例えば主人公と生きてる方のヒロインは相思相愛になるんだけどもっと相思相愛であって欲しい。なんなら元々仲良しで子供の頃から結婚しようと約束してたとか。主人公が死者の国に連れ去られた時にあんまり「元の世界に戻ってくれ」って思えなかった。

で、死者の彼女が無理やり連れてきたものの、実は可愛そうな過去があって「こんな強引な結婚してしまうのも無理ないな」と思わせて、彼女を好きにさせて欲しい。そして死者の彼女は段々と主人公の優しさに本当に惹かれだす。主人公は元の世界の彼女が結婚することを知り半ば諦念で死者の国にとどまってせめて死者の彼女を幸せにと誓うが、死者の彼女は彼の優しさに付け込んでるような気がして罪悪感を感じる。で、地上に行ってバトル。みたいな。

 

なんか多分ね、「あ、これこうなるんだろうな」って期待感が薄いのよ。主人公は結婚相手がむちゃくちゃ好きだけど自分が消えて相手が新たな婚約者を見つけてて諦めてしまう。結婚相手の子は自分がフラれたと思って結婚詐欺師と婚約させられそうになる。死者の彼女はこのままほっとけば美味しい思いが出来そうだけど、本当の意味で彼のことが大好きになってしまう。って序盤で3人の状況がハッキリ見えたら3人が邂逅した時のそれぞれの葛藤が予想付くじゃん。そういう欲望の強さが欲しかった。俺は気持ちが強いほうが好き。

 

本当は独占したり可哀想な自分がやっとの思いで良い目を見れるのに、愛した人の本当の幸せを願って一人で戦うって話型はマジで好きなので、それ自体は良かった。

そういう道筋やエンディングが序盤で分かる、「こういう話ね」って理解できるような話が好きですね。

 

終わり

zatu

雑記

 

THE・気(悟空とかが使うベーシックな気のこと)

 

人と人って他人でなんにも同じじゃないから仲良くなれるんだね。

グレッグ・イーガンの『ふたりの距離』ではある恋人が身体入れ替えたり同じ身体作ったり雌雄同体にしたり精神融合させたりしてほんとうの意味で「一つ」になろうとした結果、相手のことが何もかも分かって興味がなくなってしまう。

グレッグ・ベアの『鏖戦』でも「楽しさとは、誰かが自分とはちがったものの見方、感じ方をしてるかもしれないという認識のことだよ。それは個性を認めることに通じる」って台詞がある。これも最終的には殲滅優先のクローンが世代を重ね全ての差異が消え、揺蕩いも歪みもなく、そこにある現実をただ消し去り優越するだけの天使になるという話だった。(セリフ抜き出すのに今ちょっと読み直した)

だから人と人が理解できないくらい全然違う人間だから仲良くなれるんだって話で、だから人を好きになったり話をしてみたいな、何考えてんのかなあいつは、って思えるんだよね。

そしてそれは絶対に争いはなくならないってことなんだよ。

だって違う人間なんだから喧嘩しないはずがないんだ。綺麗好きと汚え人間が一緒に暮らしたら「せめて週イチで掃除機かけろよ」「そんなに綺麗にしなくても生活できるだろ」って言い合う。別の人間だからね。それぞれ人生があって好きな人がいて好きなことがあって辛いことがあれば、どっかで絶対ぶつかる。人類75億人もいるし。

でもそれはそれぞれ差異があるからで、差異があるから仲良く出来る。喧嘩と好きはワンセット。

喧嘩せずに仲良くしましょうなんて言えないよな。差異の排除なんて以ての外。違う人間がいればいるほど良いんだから。いればいるほど誰かと誰かは仲良くなれる。争いは絶えない。

だからこそ、どれだけ喧嘩しても最後は「ノーサイドゲーム」つって自分の生き方や個性のために戦った後は握手出来るようになりたいね。そのためには相手をよく知って、自分は強くならなきゃね。

めちゃくちゃ好みの話するけど、『からくりサーカス』のマサルがさ、もともといじめられっ子だったのに自分を助けてくれた鳴海お兄ちゃんとの冒険を経て学校でのいじめに笑って流せるようになるって話があって、俺はそれすごいかっこいいと思うんだよ。多少なら笑って流せる強さがあれば生きるのって楽しくなると思うんだわ。

ちょっと話逸れた。

これも『鏖戦』の話なんだけど憎しみって相手を殺すための感情で、それは相手を知らないことで保たれるんだよね。知ってしまえばただ生存しようとしている生物でさえ親近感を覚えてしまう。なぜなら生きようとする生物は結局自分たちと同じことを考えているから。

ノーサイドゲームにするためには憎しみで勝ってもダメ。知らなきゃならない。知るってことはすっげえ考えるってことだ。ずっと考え続けることだ。他の人からは多分めんどくせえヤツって思われるけど、諦めちゃダメだと思う。

さっきTwitterで「ポリコレは息苦しさを解消するものなので、ポリコレがはびこって息苦しいと語っているやつは今までのびのび暮らしてた強者だ」(意訳)ってのがあって、もっともらしいんだけど、こいつが言ってるポリコレって何のこと言ってるのか、息苦しさって具体的にどういうものなのか、例えば社会的な差別なのか、雇用機会の差なのか分からない。ポリコレって言葉も不本意かもしれないけど「ポリコレ棒」とかいって揶揄されてる言葉でどんなとり方でも出来るし、この人が言ってるポリコレはただ社会の女性参入とか同性婚を認めようって話で過激なものではないかもれないし、なんにも分かんない。

分かんないから無差別に攻撃されてるように感じるし分かんないからどうとでも解釈できて賛同も憎しみも湧く。

本来なら分からないことが分かるまで(今回の場合相手と自分の語義を定めるまで)話し合わなきゃいけないのにネットじゃそれも出来ない。

まあだから結論はTwitterはまじで分からないことで憎しみを発生させる状態異常兵器なんだわ。怖いね。(だからいい加減TwitterYouTubeや漫画アプリのコメ欄を覗くのをやめろと自分に思うが、なんでか辞められない。依存じゃん。怖いね)

分からないことが分かるまで一杯考えていきたいですね。

分からないことが分からないってこともあると思う。俺はここ2年くらいそうだった。今も頻繁にそう。だからキレ散らかす。分からないことが分からないってことは意識できないってことで、そしたらもうどうしようもない。

分からないことが分かるようになるには質問するしかない。「つまりそれってどういうことですか?」「具体的にはなんですか?」「それはなんでそう思ったんですか?」

コミュニケーション。特に短い言葉は信じないこと。

「定義とか意味とかうっとおしいな。どうでもいいじゃん。楽しいこと考えなよ」ってバカにされるし嫌がられるだろうけど、ここは絶対折っちゃいけない部分だと俺は思う。

 

 

bunshun.jp

終戦の日で最も印象に残っているのは、家に帰った時のことですね。かつてこの戦争が始まった日に「負けるぞ」と言った親父が、憮然とした顔をして待っていたからです。とくに話すこともなく夕食となり、お粥を啜りながら私は不安になって聞いたものです。「男はみんな奴隷になって、女はみんなアメリカ兵の妾になるんだよね」と。

 そのとき親父が言った言葉は今でも忘れられません。
「馬鹿もん! おまえ、なにを考えているんだ。空襲で川の中に落ちて、水をガブガブ飲んで、まだ頭に水が溜まっていて変になったんじゃないか? 日本の男を全員奴隷にしてどこかへ連れていくのに、どれだけの船がいると思う? そんな船があるわけはない。女たちを妾にする? それをアメリカの女たちが黙って見ていると思うか? そんなことはできっこないんだ」
そのとき初めて、私は自分の親父を尊敬しました。「リアリズム」なんて言葉は知りませんでしたが、まさに親父のリアリズムにはっとさせられたわけです。
パッと目が覚めたように、「そうだよな。そんなことはあり得ないんだ」と思った私は、「要するに、今まで言われていたことは全て嘘だったんだ」という気持ちになりました。

 

これ見て感動しちゃってさ、逆張りとかいうと「捻くれてるな」って馬鹿にされるけど、本当の意味での逆張りっちゅーか、「それは本当か」って疑っていくことって大事だな。と思った。

逆張りに自信を持とう。世の中は常に流れを持ってる。それはたいてい嘘だ。事実に流れがある訳ないからな。だから流れに棹差し、考えていかなきゃな。人間は人間なんだ。

前も言ったけど、きっと現在と過去はシステムや物理的なブツが違うだけで、もしも1000年前に今のシステムや技術をそのままぶちこんでも、最初こそ戸惑うだろうがすぐに今の人間生活と同じになると思うんだよね。動物ってそんなもんだ。

 

まとめ

まとめられるか不安だし繰り返しになると思うけど俺が言いたいのは。

「仲良しが良いじゃん」「人を傷つけるのは良くないよ」「イチャラブ尊い、これだけでいい」みたいな「争いなんてなくなればいいのに」って考えは諸手で賛同されるけど、「仲良しじゃない」ことと表裏一体なんだよってこと。人と意見が合わないとか、喧嘩しちゃうとか、嫌いだとか、迷惑なやつだとか、それがあるから人を好きになれる。人を好きなるから誰かを嫌いになる。それはどっちだけってないのよ。

もし仲良しだけの理想郷があるとすれば、『ふたりの距離』みたいに感情はなくなって『鏖戦』のラストみたいに今ある現実は棄却される。

これは他のことでもそうで、目を覆いたくなる話だけど、人が死ぬから人を大切に出来るし、人を殺せるから人を殺すのは良くないって言える。人の命なんかどうでもいいじゃんって世界だったら誰も好きな人が死んでもなんにも思わないのよ。どうでもいいんだから。

俺たちは例えば命を大切にしなきゃいけない、誰も殺してはいけないって言わなきゃいけないしそっちのほうが俺は良いと思うんだけど、だからといって誰かが殺されるって出来事は絶対なくならないしなくしちゃいけない。矛盾するようだけど。そこから目を背けていけない。考え続けて行かなければならない。

そういう訳で俺は倫理や道徳、良識とされてる「内側」を無批判に称賛しまくるのは良くないなって思う。「外側」があっての「内側」だし、外側が消えることはなく絶対に必要だから。その上で争ったとしても一線を超えないために、憎しみを抱いて現実を潰さないために、分かることを諦めず強くならなきゃなって話でしたね。おそらく。

 

終わり

ドラマ『ノーサイドゲーム』一話

ドラマ『ノーサイドゲーム』一話見た。通算で3回くらい見てる…。

池井戸潤作品は半沢直樹は見てないが、やっぱ「強くなりたい!」って気持ちが豊富でいいですね

 

あらすじ

めちゃくちゃやり手の経営部長が主人公。社内政治で回る案件を主人公は私情抜きで内政に惑わされることもなく自分の信念に従って意見書を提出し跳ね除けた。

しかしそれが原因で傘下の小さい工場に左遷。しかも全く興味がないラグビーチームのジェネラルマネージャーにまで任命されてしまう。明るく迎え入れられ気分は良いものの、そのラグビーチームは予算14億も使って毎年最下位。主人公は明らかにお荷物のこのチームを解散し、同じくラグビーは必要ないと考えている自分を左遷したやつと利害関係を以って本社に戻してもらおうとする。

主人公がラグビーチームの様子を見ると観客動員は少なく収益はほぼゼロ、サッカーと違って地域の応援も少なく社会貢献もままならない。その上選手たちは練習のため仕事は3時で切り上げミスも多い。選手たちは14億の予算もぎりぎり切り詰めての額で、これ以上減らされるわけにはいかないと訴えるが、本社への復帰と客観的な判断からやはり予算は必要ないのではないかと考える。

そんな時、主人公の息子からラグビーを教えて欲しいと頼まれ仕方なくラグビーチームに教えを請う。選手たちは日頃の恨みもあり、ちょっとした仕返しのつもりでタックルの練習をさせる。主人公は挑戦してみるものの体を痛めるだけでラグビーなんて危険だと悪態をつく。

するとラグビーチームを懇意にしている社長がやって来て主人公にラグビーの良さをとき始める。「ラグビー選手は戦士なんだ。仲間のために命懸けで戦う戦士。そういう人達を見て胸が熱くなった経験はないか?」と力説するものの、主人公は「ないです」と一刀両断。

そのまま意見は変わらずラグビーチームを解散案を自分を左遷した上司に提出し「これで自分を本社に戻してくれるんですよね」と尋ねると、なんと戻す気などサラサラなく利用されただけだった。更に主人公が左遷されてまで棄却した案件が復活、主人公は完全敗北を喫する。

雨に打たれながらラグビー場へ向かう主人公。しかしそこでも選手たちに邪魔なのでどっか行ってくれと言われる。打ちひしがれた主人公は「じゃあ俺はどこにいけばいいんだ!」と叫び再びタックルをする。叫びながら何度も跳ね返され何度も挑戦してく姿を見て一番目の敵にしていた選手が「ラグビーは仲間のために命をかけるスポーツだ」「命懸けで来い!」とタックルを待ち構え、主人公はタックルを成功させる。

その後帰宅した主人公は息子が虐めらていたからラグビーを習い強くなりたかったことを知る。奥さんはそのいじめっ子を倒そうとするが、主人公は「自分が強くなりたかった」息子の覚悟を買い、教えてもらったラグビーの信念を伝える。

そしていよいよ予算案提出の日、選手たちに配られたのはラグビーの予算が0円のものだった。選手たちは激昂するが、主人公は今のままではダメだと説き始める。タックルの一件で選手たちのことが好きになったから、だからこそ万年最下位、リーグ残留さえ出来ればいいという考えではダメだ。どん底にいるなら這い上がるのみ。もし君たちにその気があるのなら、私は経営のプロだ、金のことはどうにかしてやると豪語。

その熱い思いに心が震えた選手たちは主人公と共にリーグ一位を本気で目指すことを決め、主人公は予算14億の「真の予算案」を会社に提出するのであった。

 

ほんとは600字くらいでコンパクトに纏めたほうがいい。細かいところばかり見て。意外と「全体像」として捉えられてなかったなあ。反省。天気も悪い。

 

感想(前置き)

譲れないこだわりがあるから口も悪くなっちゃう。アンチとファンは似てるというし嫌いなら見るなと言う意見もあるけど、譲れない思いがあるからアンチっぽくなっちゃうだけで、それはアンチとは違うと思うんだよね。だからむしろ俺は「〇〇に一家言ある人」ってかっこいいと思うし、そうなりたい。だから「なあなあ」で済ませないように好き嫌いをはっきりさせていきます。

 

感想

あらすじで体力をかなり使ってしまったので構成考えずに好きな順で好きなシーンを書く。

一番好きなのは虐められたから強くなりたい子供を父親である主人公が認めるシーン。ここが本当に好き。サッカーボールをずたずたにされるくらい虐められてて、かなり悲惨だから母親は「こういうのは傷害罪と器物損壊罪で犯罪だからね、いじめっ子なんてお母さんが許さないから」ってまあ正論を言うんだけど、それを父親が「それじゃダメなんだよな」って息子の本当の気持ちを掬うのが良い。

子供はいじめられるのが悔しいから強くなりたくて、虐められるのが嫌ではあるんだけど、それよりも虐められてる「自分」が嫌なんだよね。便宜上この「正しい正しくない関係なく何者にも負けない強い自分になりたい」気持ちを漢らしさと呼ぶけど(無論性別関係なし)、俺はこの漢らしさってのが大好きなんだ。正しさじゃなくて生き方なんだよね。

母親の言うやり方でいじめは封じ込められるかもしれないし、勝てば官軍ではあるんだけど、ただ勝ちたいわけじゃなく、「自分はやれるんだ」って信じて、信念で勝ちたい。その気持ちを父親が解ってくれるのがすげえ好き。

その時に奥さんに「そんなこと言ってる場合じゃ…、虐められてるのよ!?」と叱られるけど「そんなの分かってるよ!自分の息子がひどい目にあってんだ!どうにかしてやりたいよ!けどなあ、息子が強くなりたいって言ってんだ。それを応援しないでどうする」って怒りや悔しさを押し殺して息子の気持ちを応援するの、もうまじで大好き。

 

これと好きな理由が似てくるけど、最後に主人公が腐ってる選手たちに激励を飛ばすシーンも好き。特に好きなのは残業を押し付けられてる選手に檄を飛ばすとこ。

気が弱く不器用で要領の悪い選手が仕事では失敗続き、ラグビーの練習ではや上がりしてしまうので他の社員からは目をつけられサービス残業を押し付けられる始末。それでも「自分は何も出来ないんで」と従い続けていた。

この選手に主人公が「なんでダメなことはダメと言わないんだ。ラグビーを一生懸命やっているならラグビーに自信を持てよ!ラグビーは君たちの誇りだろう!」と言うのがすごい好き。好きなことあるにも関わらず「自分なんてどうせ」って「こんくらい酷い目に合わないと他人と釣り合い取れないから」って考えてるやつに「そんな訳無いだろ。自信を持てよ」っていう話すっげえ好きなんだなあ。

自分が本当に思っていることを信じて自分に自身を持てるようになるっての大好き。

 

とにかく自分を良いように利用したり見下したりバカにされたりするのが悔しいってが好きですね。ラグビーという誇りより他人にとっては食堂のご飯が値上がりしたほうが重要だと思われてるとか、上司の手のひらの上で転がされてただけとか、虐められたとか、悔しくて悔しい思いしたくないから強くなりたいってのが良い。それに気付かないでへらへら燻ってるのとかもね。

雨の中びしょ濡れであんなに嫌ってたラグビーチームと向かい合い受け入れられるのもいいよね。嫌いで全然考え方合わなくて敵同士みたいな感じなのに一番魂でぶつかり合える相手。ちょっと毛色違うけど『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』で詐欺師の主人公が唯一本音を語る相手が敵である警部だってのも好きなんだよねえ。

 

あとは主人公がなかなか心動かされないのが好き。社長にズバッと言うし、その尊敬しているであろう社長にラグビーの熱さをめちゃくちゃ説かれたのに「理解できません」って返すのが良い。普通ならこの演説で心が変わっても良さそうなのに、これくらいじゃ気持ちが変わらないっての、自分に自身があって信念を持ってて好きだなあ。

 

まとめ

正しさや勝利は大事だけど、大事だと分かった上でそれを超克した「自分が信じる自分」を貫くために強くなりたいってのが超大好きです。

 

余談

非難されてる「男らしさ」って多分キャバクラいって下品で大酒飲みでタバコ吸って無頼で、みたいなイメージなのだろうけど、俺にとっての男(漢)らしさは上記した「強くなれば悔しくなくて済むんだ」って気持ちのことなんで、男らしさを上辺で避難するのはまじでムカつきます。いやだからまあ別に名称の話なので俺が男らしさと呼ばきゃ良いんだけど。誰でも持ってる人は持ってる気持ちだろうしね。他人に涙は見せずにニッコリ笑うとかね、そういうのって個人の美学じゃん。それを楽に生きるには不必要だからロールから降りろなんて、そっちもそっちで「男らしさから降りたロール」を押し付けてるよね。勝ち組負け組競争社会が正しいとは言わないけど、楽に笑って愉快にダラダラ暮らせるのが一番幸せっていうのもまた正しいわけじゃない。それぞれが持つ目標とか一意見にしか過ぎない。

とかなんとか言っちゃったりして。

 

終わり