見るなキタ━(゚∀゚)━!

トイレの「小」の方で流せるタイプの文章を書きます。そしてお前を許さない。

ドラマ『ノーサイドゲーム』一話

ドラマ『ノーサイドゲーム』一話見た。通算で3回くらい見てる…。

池井戸潤作品は半沢直樹は見てないが、やっぱ「強くなりたい!」って気持ちが豊富でいいですね

 

あらすじ

めちゃくちゃやり手の経営部長が主人公。社内政治で回る案件を主人公は私情抜きで内政に惑わされることもなく自分の信念に従って意見書を提出し跳ね除けた。

しかしそれが原因で傘下の小さい工場に左遷。しかも全く興味がないラグビーチームのジェネラルマネージャーにまで任命されてしまう。明るく迎え入れられ気分は良いものの、そのラグビーチームは予算14億も使って毎年最下位。主人公は明らかにお荷物のこのチームを解散し、同じくラグビーは必要ないと考えている自分を左遷したやつと利害関係を以って本社に戻してもらおうとする。

主人公がラグビーチームの様子を見ると観客動員は少なく収益はほぼゼロ、サッカーと違って地域の応援も少なく社会貢献もままならない。その上選手たちは練習のため仕事は3時で切り上げミスも多い。選手たちは14億の予算もぎりぎり切り詰めての額で、これ以上減らされるわけにはいかないと訴えるが、本社への復帰と客観的な判断からやはり予算は必要ないのではないかと考える。

そんな時、主人公の息子からラグビーを教えて欲しいと頼まれ仕方なくラグビーチームに教えを請う。選手たちは日頃の恨みもあり、ちょっとした仕返しのつもりでタックルの練習をさせる。主人公は挑戦してみるものの体を痛めるだけでラグビーなんて危険だと悪態をつく。

するとラグビーチームを懇意にしている社長がやって来て主人公にラグビーの良さをとき始める。「ラグビー選手は戦士なんだ。仲間のために命懸けで戦う戦士。そういう人達を見て胸が熱くなった経験はないか?」と力説するものの、主人公は「ないです」と一刀両断。

そのまま意見は変わらずラグビーチームを解散案を自分を左遷した上司に提出し「これで自分を本社に戻してくれるんですよね」と尋ねると、なんと戻す気などサラサラなく利用されただけだった。更に主人公が左遷されてまで棄却した案件が復活、主人公は完全敗北を喫する。

雨に打たれながらラグビー場へ向かう主人公。しかしそこでも選手たちに邪魔なのでどっか行ってくれと言われる。打ちひしがれた主人公は「じゃあ俺はどこにいけばいいんだ!」と叫び再びタックルをする。叫びながら何度も跳ね返され何度も挑戦してく姿を見て一番目の敵にしていた選手が「ラグビーは仲間のために命をかけるスポーツだ」「命懸けで来い!」とタックルを待ち構え、主人公はタックルを成功させる。

その後帰宅した主人公は息子が虐めらていたからラグビーを習い強くなりたかったことを知る。奥さんはそのいじめっ子を倒そうとするが、主人公は「自分が強くなりたかった」息子の覚悟を買い、教えてもらったラグビーの信念を伝える。

そしていよいよ予算案提出の日、選手たちに配られたのはラグビーの予算が0円のものだった。選手たちは激昂するが、主人公は今のままではダメだと説き始める。タックルの一件で選手たちのことが好きになったから、だからこそ万年最下位、リーグ残留さえ出来ればいいという考えではダメだ。どん底にいるなら這い上がるのみ。もし君たちにその気があるのなら、私は経営のプロだ、金のことはどうにかしてやると豪語。

その熱い思いに心が震えた選手たちは主人公と共にリーグ一位を本気で目指すことを決め、主人公は予算14億の「真の予算案」を会社に提出するのであった。

 

ほんとは600字くらいでコンパクトに纏めたほうがいい。細かいところばかり見て。意外と「全体像」として捉えられてなかったなあ。反省。天気も悪い。

 

感想(前置き)

譲れないこだわりがあるから口も悪くなっちゃう。アンチとファンは似てるというし嫌いなら見るなと言う意見もあるけど、譲れない思いがあるからアンチっぽくなっちゃうだけで、それはアンチとは違うと思うんだよね。だからむしろ俺は「〇〇に一家言ある人」ってかっこいいと思うし、そうなりたい。だから「なあなあ」で済ませないように好き嫌いをはっきりさせていきます。

 

感想

あらすじで体力をかなり使ってしまったので構成考えずに好きな順で好きなシーンを書く。

一番好きなのは虐められたから強くなりたい子供を父親である主人公が認めるシーン。ここが本当に好き。サッカーボールをずたずたにされるくらい虐められてて、かなり悲惨だから母親は「こういうのは傷害罪と器物損壊罪で犯罪だからね、いじめっ子なんてお母さんが許さないから」ってまあ正論を言うんだけど、それを父親が「それじゃダメなんだよな」って息子の本当の気持ちを掬うのが良い。

子供はいじめられるのが悔しいから強くなりたくて、虐められるのが嫌ではあるんだけど、それよりも虐められてる「自分」が嫌なんだよね。便宜上この「正しい正しくない関係なく何者にも負けない強い自分になりたい」気持ちを漢らしさと呼ぶけど(無論性別関係なし)、俺はこの漢らしさってのが大好きなんだ。正しさじゃなくて生き方なんだよね。

母親の言うやり方でいじめは封じ込められるかもしれないし、勝てば官軍ではあるんだけど、ただ勝ちたいわけじゃなく、「自分はやれるんだ」って信じて、信念で勝ちたい。その気持ちを父親が解ってくれるのがすげえ好き。

その時に奥さんに「そんなこと言ってる場合じゃ…、虐められてるのよ!?」と叱られるけど「そんなの分かってるよ!自分の息子がひどい目にあってんだ!どうにかしてやりたいよ!けどなあ、息子が強くなりたいって言ってんだ。それを応援しないでどうする」って怒りや悔しさを押し殺して息子の気持ちを応援するの、もうまじで大好き。

 

これと好きな理由が似てくるけど、最後に主人公が腐ってる選手たちに激励を飛ばすシーンも好き。特に好きなのは残業を押し付けられてる選手に檄を飛ばすとこ。

気が弱く不器用で要領の悪い選手が仕事では失敗続き、ラグビーの練習ではや上がりしてしまうので他の社員からは目をつけられサービス残業を押し付けられる始末。それでも「自分は何も出来ないんで」と従い続けていた。

この選手に主人公が「なんでダメなことはダメと言わないんだ。ラグビーを一生懸命やっているならラグビーに自信を持てよ!ラグビーは君たちの誇りだろう!」と言うのがすごい好き。好きなことあるにも関わらず「自分なんてどうせ」って「こんくらい酷い目に合わないと他人と釣り合い取れないから」って考えてるやつに「そんな訳無いだろ。自信を持てよ」っていう話すっげえ好きなんだなあ。

自分が本当に思っていることを信じて自分に自身を持てるようになるっての大好き。

 

とにかく自分を良いように利用したり見下したりバカにされたりするのが悔しいってが好きですね。ラグビーという誇りより他人にとっては食堂のご飯が値上がりしたほうが重要だと思われてるとか、上司の手のひらの上で転がされてただけとか、虐められたとか、悔しくて悔しい思いしたくないから強くなりたいってのが良い。それに気付かないでへらへら燻ってるのとかもね。

雨の中びしょ濡れであんなに嫌ってたラグビーチームと向かい合い受け入れられるのもいいよね。嫌いで全然考え方合わなくて敵同士みたいな感じなのに一番魂でぶつかり合える相手。ちょっと毛色違うけど『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』で詐欺師の主人公が唯一本音を語る相手が敵である警部だってのも好きなんだよねえ。

 

あとは主人公がなかなか心動かされないのが好き。社長にズバッと言うし、その尊敬しているであろう社長にラグビーの熱さをめちゃくちゃ説かれたのに「理解できません」って返すのが良い。普通ならこの演説で心が変わっても良さそうなのに、これくらいじゃ気持ちが変わらないっての、自分に自身があって信念を持ってて好きだなあ。

 

まとめ

正しさや勝利は大事だけど、大事だと分かった上でそれを超克した「自分が信じる自分」を貫くために強くなりたいってのが超大好きです。

 

余談

非難されてる「男らしさ」って多分キャバクラいって下品で大酒飲みでタバコ吸って無頼で、みたいなイメージなのだろうけど、俺にとっての男(漢)らしさは上記した「強くなれば悔しくなくて済むんだ」って気持ちのことなんで、男らしさを上辺で避難するのはまじでムカつきます。いやだからまあ別に名称の話なので俺が男らしさと呼ばきゃ良いんだけど。誰でも持ってる人は持ってる気持ちだろうしね。他人に涙は見せずにニッコリ笑うとかね、そういうのって個人の美学じゃん。それを楽に生きるには不必要だからロールから降りろなんて、そっちもそっちで「男らしさから降りたロール」を押し付けてるよね。勝ち組負け組競争社会が正しいとは言わないけど、楽に笑って愉快にダラダラ暮らせるのが一番幸せっていうのもまた正しいわけじゃない。それぞれが持つ目標とか一意見にしか過ぎない。

とかなんとか言っちゃったりして。

 

終わり