見るなキタ━(゚∀゚)━!

トイレの「小」の方で流せるタイプの文章を書きます。そしてお前を許さない。

映画『透明人間』

映画『透明人間』見ぅた

スリード盛りだくさんで最後までどうにかしようという気概は感じた。個人的には感情が強いほうが好きだからそこ引いて星4で。

 

あらすじ

こちらを支配しようとしてくる狂気的な旦那から辛くも逃れる主人公。しかしその恐怖から旦那がいつでも連れ戻しに来る気がして外も出歩けなくなり知人の家で治療を受ける日々。

しかしある日、元旦那の兄から元旦那が死んだと聞かされ光学研究で得た莫大な遺産を受け継ぐ。

訃報を聞き段々と呪縛から逃れていけそうだったが、変なことが起こり始める。

出した記憶のない妹への罵倒のメールや殴ってもいないのにお世話になっている知人の娘を殴ったことになっている。

これはきっと旦那の仕業と主張するが誰も信用しない。

だがなんと、旦那の電話機が屋根裏部屋にありそこには「サプライズ」の文字が。

何かが起きていると悟った主人公は旦那と住んでいた家を探りに行くとそこには透明人間になれるスーツが置いてあった。気づかれ襲いかかってくる透明人間を躱し、妹に助力を仰ぐも公衆の面前で殺され主人公はナイフを持たされ罪を着せられてしまう。

精神病院に入れられ透明人間のことを主張するもやはり誰も信じてもらえない。その上いつの間にか妊娠しているとの診断も下される。

すると旦那の兄が弁護士として、このままでは精神不安定なので遺産は受け継げなくなる、しかし子供を産めばどうにかしてやると持ちかけてくるが主人公はそれを跳ね除け「お前ら兄弟の言いなりになるくらいなら死んでやる」と腕を切り裂き始める。

だがそれは主人公の計略で、自殺を止めに入った透明人間を逆に掴み攻撃、スーツが半壊し姿が見えるようになる。

そこから色々あった末にどうにか透明人間を殺すことができるが、マスクを剥ぐとそこにあったのは旦那の兄の顔だった。

そして旦那の方は地下室に監禁されていたというのだ。

主人公はそこまで含めて旦那の計略だと思い、最後には自らが透明人間になって旦那を仕留めるのであった。

 

感想(前置き)

俺の好き嫌い、こうしたらもっと自分好みになるのになあっていう話をするとピクサーの人が物語作りにいいよって言ってたのでそうします。そういうタイプの感想です。

 

感想

『アップグレード』の監督らしいですね。サスペンス・ホラーと見せかけて能力バトル漫画にする人っぽいな。

面白いんは面白いんだけどミスリードから何択か妄想できてその中から意外な方が採択されてるって感じで読めるっちゃ読める。

だから面白いっていうよりかは「俺だったらこのネタでどんな話にしようかな~」って考えられるのが楽しい。妄想力を掻き立てられる話ですね。

つまりね、透明人間の強さが面白かったんだわ。ターゲットが一対一の場面で殺人をしたら死人に口なしなのでもう片方が必然犯人になる。透明人間なんて信じてくれるわけない。その状況でどうやって透明人間に勝つか。

なのでどうせなら序盤の「本当に透明人間がいるのか/それともおかしくなった主人公の自作自演なのか」というサスペンス部分をもっと短めにして、完全に「透明人間はいる」という状況を受け手に伝えた後に、主人公の大切な人がどんどん殺されて、しかもそれが主人公のせいになって窮地に追い込まれる。最後にはもう気が狂いそうになって旦那に身も心も捧げることを誓うが実は主人公の作戦で反撃のチャンスをずっと待っていた。みたいなジョジョっぽい流れだと面白いかなあ。いまでもそういう形にはなってはいるけど、もっと「アイツのせいだって分かっているのに親しい人が殺されていく遣る瀬無さ・ムズ痒さ」で感情の圧を高めていくと俺はノリノリになれるな。

 

終わり

アニメ『ワンダーエッグ・プライオリティ』12話

アニメ『ワンダーエッグ・プライオリティ』12話見た。

最終回だからこっちに感想書こう。

さあ、一体どんな最終回なんだ?

 

 

 

…って終わってねえ~!☝️💦

まだ「ありがとう」を言うには早いよアイちゃん!!シュワシュワサイダーみたいに弾けてんじゃねえよ!!

人気出たら続くみたいな仕組み?金?大人って汚いよ…。(作品のテーマに対する叛逆)

せめてノゲノラみたいに一旦決着付けてほしかったナ…。

うえーん。裏切り行為の範疇だぜ。

 

まあええわい。

 

12話。

俺としては一番面白くて好きだった1話と同じ匂いでとても良かった。俺の好みの話だけど、ずっとこの感じだったら弩クリティカルだったな。

 

あらすじ

ワンダーエッグのゲームをクリアすると色々あるらしいけどそれはひとまず置いといて、とりあえずワンダーエッグを割っていくしかないらしい主人公・大戸アイちゃん。

たまごから出てきたのはパラレルワールドで自殺した自分自身だった。

自殺した自分には親友も友達も出来なくてずっといじめられていた。

そして自殺した自分のワンダーキラー(自殺の一番の原因)は先生だった。

主人公と同じように、自殺した自分も先生のことが好きだったのに母親が先生と結婚して自殺したらしい。

ワンダーキラーは「大人は汚い。君をダシにして君の母親と結婚した。大人というのは醜いのだ。だから君たちも大人になってしまう前に、綺麗なままで死ぬが良い」と問いかけてくる。そして大戸アイに親友の小糸ちゃんの幻影を見せ、死へ誘おうとする。

しかしワンダーエッグで戦い、友達が出来て強くなった主人公はそれがおかしいことに気づく。

「自殺して後悔してるんじゃないの?」

母親が先生と結婚することも、先生のことも、親友のことも、自分の気持ちを裏切られた事かもしれないけど、人の幸せを願いたい。信じたい。

そうして生きることを決意し、自殺してしまったもう一人の自分を救い出したのであった。

 

意訳

 

感想(前置き)

俺の個人的な好き嫌いの話で、嫌いな話はこうしたら好きになるなあ。ってことを考える。それが物語を作る修練となるのだとピクサー老師が仰られてました。そういう感想です。よしなに。

 

感想

子どもは純粋で大人は汚くて、きっと大人は子ども騙して自分の欲望を叶えたいだけという思い込み。自分が好きだった先生が引きこもりの自分の家庭訪問してる内に母親とデキてたという、精神的な大ダメージと中学生の私をダシにして乳繰り合ってるという自分で作り出した都合のいい悲劇を、違うよって否定するのがすごく良かった。

大人は汚いんだってフィルターを外して、単純に本当にお母さんたちは幸せを探しているだけ。だったら大好きなお母さんの幸せを、好きだった先生の幸せを願いたい。という克己はめっちゃ心に来るんだよね。自分の望みが全て叶わなくても人の幸せを願う話って超好き。

 

順繰りに書こう。

別時空アイちゃんに「たくさん友達がいて幸せ?」って聞かれたアイちゃんが泣いたあとに「大幸せ!」って言うのがすげえいいよね。

ここも結局「信じる」ことの話で、幸せかと聞かれてイエス・ノーで答えられるわけない。小さいところならケンカもするし、親友は死ぬし母親と先生は結婚するしまあ結構色々嫌なこともある。

けど「幸せなんだよ」って言い切ること。だって友達が出来たんだもん、笑ってられるんだもん、大幸せだよって言い切ること。

笑う門には福来るじゃないけどさ、福ってのは出来事だけじゃないんだ、考え方じゃない?ってのがいいし、そう思えるようになったのが良い。

 

それともうひとりの何も信じられなかった自分に、「自分はここまで強くなれるんだよ」って可能性を見せてあげるのが良い。泣いてる君の中にはこんな可能性が眠ってるんだぜって自分に言うのはグッと来る。

 

そんでさ、お母さんとのエピソードが挿入されていくんだけど、このお母さんがすげえ優しくて、さくらちゃんのパパくらい優しいんだよね。学校に行こうとするけど行けない大戸アイちゃんに対して「栗の皮むき手伝ってくれる?」って言うのよ。大丈夫とか焦らなくていいよとかでもなく、お仕事を与えるってのが接し方としてすごく良い。

 

こういうシーン見るときっと母親はアイちゃんが相談してくれるのを待っていてアイちゃんの幸せを願っていて、アイちゃんもいつか気持ちが定まったら何かを伝えようとしてたんだろうなと思う。けど先生が母親と結婚するとか言い出して、信じられなくなっちゃった。あんたも他人と一緒で他人だったのかよって。でも、だから、あとから主人公側のアイちゃんの言う「後悔してるでしょ」が刺さるんだよね。

 

小糸ちゃんに手を引かれて死へ誘惑されるシーン。

ここらへんがとにかく俺にとってダイレクトなシーンで、要は生きてりゃ良いことあるんだとか未来は汚いとか思うけど実際体験もしてないのに何言ってんだよ、それを確かめもせずに「今が一番綺麗であとはなにもないんだ」って死んじゃうなよ。ってそれが期待は裏切られるためにあるんだと思いこんで死んでしまった小糸ちゃんへの「後悔してるよね」って問いかけになってて良いのよねえ。

とにかく「死ぬなよ」って話はグッと来るんです。打算まみれの大人が汚いかどうかは、そんな大人になってしまうかどうかはお前次第なんだからなに諦めて死んでんだよ、って言葉。

結局多分、俺は「もうちょっと頑張れよ」みたいな応援のほうがグサリと刺さるんだと思う。

 

そこからの自殺してしまった自分に「声に出して言ってよ」と呼びかけるのも良くて、やっぱね、声に出して言って欲しいよね、言葉はね。俺は口に出して叫ぶってが大好きなんだ。「助けてと言え!」「ルフィ、助けて…」「当たり前だ!!!!」ドン!!!ってことよ。

ここからの演出もすごく好きで、まずBGMがエバーグリーンな感じで良い。甘き死よ来たれ的な、意味合いは真逆だけど使い方としては近いかな。そこからデカいエフェクトでばいーんってなるのが、もうデカいだけでテンション上がるし梵鐘みたいな音と空が割れるのも日の出というか、救いというか、内向きの精神世界を崩す感じが出てて良い。

 

んで、偽先生に「君のママも自分の欲望に負けたんだ。君を裏切ったんだよ」と言われるけど、でも引きこもりの自分に優しかったママも本物で、そんなママが裏切るために欲望に従ったわけじゃない、ママはママで幸せになることも自分は自分で幸せになることも、並列して出来るから、ママを信じるんだという答えが良いっすね。人が幸せにならないで自分にだけ優しくして、っていう構ってちゃんはもう辞めだ。という成長の仕方が好きです。

そして偽先生に「信じると言ってるくせに先生のこと好きだって言ってたじゃないか」と過去を持ち出すんだけど、それにもうるせえっつって突っぱねるのがね、いいよね。

 

結局なにに感動してるかっていうと、『からくりサーカス』と全く同じテーマに感動してるので、そういうことなのよ。

 

小糸ちゃんが生き返らせて真実を聞きたいと思ってたけど、本当は感謝したかった。「嘘の友達でも?」の問いに「でもその時救われたんだよ、一人ぼっちじゃなくなって」と答える。

小糸ちゃんがアイちゃんと友だちになろうとしたのは沢木先生のためだったかもしれないし、可愛そうなアイちゃんへの同情に過ぎなかったかもしれない。自分のためだったかもしれない。だけど救われたの本当だよ。って、8話くらいの小糸ちゃんとコックリさんやって「小糸ちゃんと先生は好き同士」の質問にハイになったのと同じ。本当にコックリさんが成功したのかは分からないけど、小糸ちゃんも私も嬉しかったからファンタジーでも良いのだ。

バンプの『透明飛行船』の「優しさの真似事のエゴでも」「優しさの真似事は優しさ」じゃん。

悲劇のほうが信じやすいし信じたくなるけど、真実から美しくあって欲しいと願うけど、救われたのならそれは嘘でも本当のことでしょう、って信じようとする行為が好き。

 

 

はい。

個人的には正直、この話に焦点を絞って6話7話くらいでやるっていう形だったらただただ純粋に好きだったろうなあと思う。で後半は克己した主人公が「未来を信じよう」という信念で「ここで死んだほうが楽なんじゃないか」っていう死の誘惑をされる仲間たちを助けていくっていう形。

例えば小糸ちゃんのことを「嘘の友達」だと認識するエピソードとか普通に積み重ねてくれる方が好きではある。分かるのは分かるけど、語り方としてね…。沢木先生が主人公に興味あるのを知って利用しただけじゃないの?とか葛藤があって疑って、なにを信じたら良いか分からなくなった末にもうひとりの自分を助ける、とか、いやでもそうすると「強くなったんだよ」とは言えないか。自分を救えないか。

だから人を救ってる間にアイちゃんがいつの間にか強くなってて、その答えが12話だったので、じゃあまあこうか…。

あくまで俺の好きな話型として、きっと「まだ先に行けたのになあ」と思ってるからこの12話をもっと早くやってくれていれば、と思うんだろうなあ。

 

まあいいや。

 

 

まとめ

他の話数も語り方が微妙に肌に合わなくて理解しづらかったけど、多分今回のアイちゃんの出した答え的な話をずっとしてたんだと思う。なのでテーマは好きだったんだろうなあ。でもなんかよく分かんなかったんだよなあ。

1話と12話、大戸アイちゃんが強くなる話が好きでした。

 

ワンダーエッグ・プライオリティのプライオリティは、はてさて一体どうなることやら…

 

終わり

映画『夜のピクニック』

映画『夜のピクニック』見あひた。

面白いとかじゃないんだけど、要素と登場人物が好き。判断難しいけど星4~5かなあ。

 

あらすじ

この学校の一大イベント、一日掛けて80キロ歩く歩行祭で、3年生で今年最後の歩行祭となる甲田貴子は自分である賭けをする。それは異母兄妹である同じクラスメイトの西脇融と話をすることだった。

貴子の友達も融の友達もそれぞれ好き同士だと思って色々計らうが別に恋愛じゃないというのとお互い頑固であったりお互い嫌いだろうと思いこんでいたりでなかなか喋る機会が訪れないまま残り数キロメートルとなる。

しかしなんとか最後の最後にぎこちないながらも2人で喋る機会があり心が溶けてみんなで完走する。

 

……群像劇で図太いストーリーがあるわけじゃなく、「一緒にただ歩く」ことを通じて友達のことを知りそれぞれの思いが重なったり交錯したりする話なので、すごくあらすじ書きにくい。なのでこんなもんに留めておく!(書けないわけじゃないよ。留めておくんだよ)

 

感想(前置き)

自分の好きなこと嫌いなことをはっきりさせて自分の描く物語に活かすのが目的の感想ですのでよしなに。

 

感想

すげえ面白いわけじゃないし、ところどころでテーマみたいなのが散り散りと語られるので「こうしたら面白いのに」とかじゃねえですね。もしかしたら造形の深い人ならば良し悪しがあるのかもしれないけど、あんまり通ってきてないタイプなので。

 

俺は青春ものってすごく好きで、「なんでこんなに歩くの?」って切れながら「だるいよねえ」って愚痴って、でも誰かは告白したり夜なのに元気に走り回ってる人みて笑っちゃったりどうでもいい話したりするのがなんか良いんですよね。

こういう行事って乗り切れるのは陽キャなんだろうけど、でもやっぱりクラスの端っこにいるやつでもどっかでちょっとなにか期待しちゃうじゃない。それが物語ともなればさもありなん。話逸れちゃうけど、装置として、例えばみんなが行事やってる時に好きな女の子と2人きりで学校から抜け出したらそれはそれでめちゃくちゃ物語じゃん。でも行事も行事でなにか物語があるじゃない。そういう期待感がすごく好きなんだよね。お祭りもそうね。

この作品で言えば、妙にぐっと来たのが今まで歩行祭を完走できたことなかったハードロックヘビーメタルオタクの男の子とあらゆる男とあざとく付き合っては別れを繰り返す媚び媚びの女の子が最後に音楽の趣味があって楽しく話してるのなんかすげえ好きなんだよね。媚びて短期間の恋愛してた子が顔とかステータスじゃなくて素直に好きなことを喋れる人と出会うってのがいい。

 

結局この作品のデカいテーマってよく分かんなかったんだけど、すごく悩んでる人がいてその脇で大した悩みもなさそうな元気な子とかいて、そういうのがいいなあと思えたりワイワイ盛り上がってるのが単に好きなんだなあ。

歩くというのも、喋るのに対面じゃなく顔も見ないけど、同じ目的で同じことをしているという行為もいいと思う。

あとは個人的に自分も3日で100キロを数十人で歩くイベントしたことあるから思い入れしちゃう。

 

好きな話は、融くんの友達がこどもをおろした子と関わりがあった、というエピソード。言い寄られてたけど、最初に相談相手として話し始めたから付き合うことはなくて、その後に堕胎の話を聞いてタイミングや順番が違ったらこんなことにはならなかったのになあ。という話。相談相手として出会ってなかったら、もしかしたら付き合っていて、堕胎するような事態にはなってなかったかもしれない。

後悔しようが何を思おうが「そう」でしかありえないけど、でも例えば運命の人と思えるような相手でももし違う順番で出会っていたら好き同士になってなかったかもしれない、なんて考えてしまうよねえ。そういう後悔めいた話は悲しいというか切なくて良い。

同じように未来と過去と現在というような時間を意識させる台詞があって、ラスト付近で貴子と融が仲良くなって「青春だね」と言うんだけど融が「これが将来では青春になるのかなあ」みたいな(うろ覚え)ことを言う。この今だけの輝きや匂いを感じさせる台詞がぐっと来た。きっと、未来でもいい思い出として残って人生を形作るけど、同じ匂いはしないでしょう。青春って切ねえんだわ。そんな空気は大好きですね。

 

そんな大したことじゃないようなことで、みんな言葉をつまらせたりそっけない態度取ったり大人ぶったりしてる、十代の「下らないかもしれないけど、これが世界のすべてなんだ」ってめちゃくちゃ愛おしいのよねえ。

 

ティーンエイジャーが夜に歩くのも、このなんでもないの日々に何か起きて欲しいドキドキとワクワクの期待感があって好き。でも「夜好性」とか呼ばれる流行りの音楽は突っぱねてるぜ。逆張り人間なので、流行っちゃだめなんですよ…。みんなで夜を駆けちゃだめなんです。与えられた夜に喜ぶな。(面倒くさい御人…)

 

まあ難点をいうと異母兄妹の感情って感覚で理解し難くて、『水は海に向かって流れる』もそうなんだけど「へえなんかそういう感情になるの?そうなんだ?」という頭で理解する形になるからあんまり乗り切れないのですよね。「自分の父親が不倫してたのがあの子の母親で、ということは怒りや恥じもあるけど兄妹だし…」と頭で感情リストを編み上げてメモを取るみたいな…。本人も「どうとも言い表せないこの気持ちに対してどうしよう」だとは思うんだけど。

 

あとは空気読めない杏奈ちゃんの弟にすこしムカついたけど、実は杏奈ちゃんの手のひらの上だったってとこでスーッと氷解したからいいアイディアだなあと思った。一緒に歩きたかったけど歩けなかった離れ離れになった友達がこっそり罠を仕掛けとくみたいな関わり方良い。

 

他には誰が誰を好きとか、叶わないのが分かってて普通の雑談の中で告白して「冗談だよ」とか言うのとか、そういうベタなんがめっちゃ好きっす。

 

ただ俺こういう群像劇とか人物描写の解像度がかなり低いと思うので「最高!マックス星満点!」とか言えないんだろうな。

 

終わり

 

雑談

議論は正しさのパワーバトルではない。

 

そもそも議論で意見が変わることってそんなにない気がする。

 

じゃあなんだろ。たぶん対話ってカテゴリでいいんじゃないかなあ。

 

自分の意見と食い違っても「そんなの間違ってますよ」から始まっちゃいけない。

たとえば「人を殺してもいいか」って議題で相手が「人は殺してもいい」と言ったとしても、まずは「人って殺してもいいのかも」と肯定する。そこから「なんで人って殺しちゃだめなんだろう・殺していいんだろう」って話をするのが良いと思う。

 

前にTwitterRADWIMPS野田洋次郎が「藤井聡太とか才能ある人の遺伝子を国が保存して残していけば」みたいな優生思想なツイートをしててアホみたいに叩かれたが、どんだけアホと思っても、まずは「そうかも」と考えなきゃいけなかったんだろうなあ。

 

「それは優生思想と名前まで付けられている間違った考えです」はい終わり、はテストの丸付けみたいで楽なんだけど思想とか生きてる上で思うことってテストみたいな丸とバツで決められるもんじゃないから、少し大変でも対話していかなきゃなあ。解答がないことは不安なんだけどね。

 

対話では、どんな話もまず「そうかも」と肯定することが大事なんだと思う。

 

でもそれはすごく難しくて、余裕があるから出来るんだろうよ。

 

「人を殺してもいいと思う」「優秀な遺伝子は選りすぐるべきだと思う」に一度賛同することは、自分の足元が一度ぐらつくってことだ。「そりゃだめだろ」って意見に喉を通すと、信じてたことに「お前の信じてることは本当なのか?」と問いかけることになる。

 反対した意見に一度賛成することは、嫌いなやつの生存を認めることになる。嫌いなやつも嫌いなやつでここに存在しなきゃいけないと肯定することになる。

 

いじめられて引きこもっているやつや子どもを殺されて憤っている母親に、「優秀な遺伝子は選りすぐるべきだと思う」「人を殺してもいいと思う」を一度肯定しろ、なんてのは無理な話。

 

相手を肯定するにはすごく力と余裕が必要。

 

一度「人は殺していいと思う」と考えたとしても、自分は自分で「でも俺は人を殺しちゃだめだと思う」とブレずに思い続けられるのは、大変なメンタルが必要だ。

自分を持ち続けることは難しい。

 

ま、要は

Twitterは議論に向いてない(まず「そうかも」と言えるような場じゃない。そんなこと言ったら叩かれる。それに「そうかも」と言っても相手だって返事くれないだろうし)。

議論と称して「はい残念~。それはナチスドイツの時代の思想の延長にあり間違ってます!歴史で答えが出てます!社会的に間違ってます!」と答え合わせのように否定するのは楽だし自分も傷つかないで済むけど、人の思いや考えはマルバツ問題じゃないからね。

でも普段から自分が生きてていいか、自分の立ってる足元がぐらつくような感覚を覚えると、マルバツ(正しさ=社会が許してること=帰属意識)にすがりつかなきゃ立ってられないってこともあると思う。仲間はずれも孤独も怖いしね。本当はちょっとくらいだめだめでもいらんこと言っても友達は増えも減りもしないんだけどね。

 

生きるのってむつかし~。っちゅーことやね。

投げやりな締め!

 

終わり

映画『ドクター・ドリトル』

映画『ドクター・ドリトル』見た?見た

ストーリーは通ってるけど記憶にも残らないという大衆向けあるある。星3

 

あらすじ

猟師の息子なのに虫すら殺せない少年・スタビンズくんが流れ弾で怪我をさせてしまったリスを助けるために動物と話せるうらびれた医者・ドクター・ドリトルの元へ行き治療してもらう。ドリトル先生は人間嫌いで偏屈だけど面白い人で、そんな姿にスタビンズくんは感銘を受け先生の助手になることを決める。

そのころドリトル先生の動物園のような土地の存在を担保してくれていた女王陛下が死にかけているという報告が入り、このままではドリトル先生と動物たちはバラバラになってしまうことが判明する。女王陛下を助けるために、ドリトル先生が人生で唯一人間に心を開いた冒険家である嫁が命を落とした伝説の「エデンの園」へ向かい何でも治せるきのみを取りに行く。

女王陛下が死んだほうが都合のいい大人たちがドリトル先生たちを邪魔するが、動物たちとのコンビネーションでなんとか苦難を乗り越えエデンの園へ。

きのみを守る伝説のドラゴンを治療することでドラゴンと仲良くなり実をもらい女王陛下は助かる。

道すがらコンビネーションの良さをしったドリトル先生一行は閉じていた病院の門を開き再び医者をするようになる。

 

まとめ方ざっつぅ。

 

感想(前置き)

好き嫌いをはっきりさせる、嫌いな話はどうやったら好きになるかを考える、それが物語を作る練習となる、とピクサーの人が言ってました。そういうタイプの感想です。よしなに。

 

感想

冒険ものとか大人から嫌われている大人と社会に疑問がある子どもの交流自体が好きなので設定はすごく好き。

ただ楽しそうなのにまじで記憶に残らなくて、いうなれば女の子に言われる「良い人だよね」みたいな話で、主人公たちにとって立ち向かわなくてはならない恐怖心や困難がなく、学校に遅刻しそうだから怖い犬のいる家の前を通り過ぎなきゃくらいのストーリーしかない。

たとえ話になるけど俺としては、めちゃくちゃ好きな子に「明日バレンタインのチョコあげるから絶対学校来てね」と言われた男子が小さい頃犬に追いかけられてトラウマになっているのにも関わらず遅刻しないために犬のいる家の前を通る、くらいパワーが欲しい。

スタビンズくんは親(大人)から猟師になれと言われているけど動物を傷つけるのは嫌だったり、ドリトル先生も敵役から「動物と話せるなんて馬鹿なやつめ」とかって言われていて、社会の圧として「動物は殺すもの」になっている。

だったらスタビンズくんはドリトル先生の姿を見て「ああ、動物と仲良くしても良いんだ」って思って一生懸命頑張るようになり、後半では「動物は殺すものなんだよ」という敵を擬似的な父親として論破する。スタビンズくんにとって一番怖いものに立ち向かう。

きのみを守るドラゴンを殺そうとする敵が「こいつを殺せば何でも治るきのみが手に入る。人間を守るためなら動物を殺すべきだ」とか言って「猟師として生活するには動物を殺す」ことへの擬似的な問いかけをする。

そしてスタビンズくんはドラゴン(動物)と仲良くなれば両方とも取れる、殺す以外にも道はあると言ってのけ勇気と答えを示したあとに、ドリトル先生が実力でその願いを叶えてくれる。みたいな大きい流れがあれば面白いかなあ。そして一生懸命なスタビンズくんを見て共同作業したドリトル先生は人間のこともちょっと好きになる。

結局ドリトル先生の良いところってどこ?ってのが打ち出されてなくて、なんとなく動物に優しい良い人ってのは分かるんだけど、もっとかっこよく見せる事はできると思う。

猟が出来なくて病んでる虎の治療ほっぽって駆け落ちしといて、殺されそうになったら共感を示すなんてあんまりかっこいいとは思えないからなあ。「悪かった」と血の一滴くらい流してさ、「こんな世界でうまく生きるのなんて大変だよなあ」くらい言ってさ、間接的にスタビンズくんも救うみたいな話にも出来ると思うんだよねえ。

 

好きなのは相変わらずデカいものが好きなのでクジラと協力するシーンは好きだった。

それと基本的に軽い感じのノリや何度も言うけど昔ながらの冒険感は好き。

あと一番涙腺に来たのが、最後の最後、ドリトル先生がナナフシの証言を使って女王陛下に毒薬を仕込んでいた大臣を逮捕しようとしたとき、大臣が「虫と話せるなどと馬鹿らしい」と嘲笑ったのを兵士が「私も昔、テントウムシと話していたことがあります。幸福が訪れると」というのがぐっと来た。

自分は虫と話せる能力は失ってしまったけど、それを持ったまま大人になった(なってしまった)ドリトル先生を認めてあげる台詞でなんかとても良かった。本編とほとんど関係ないしそこまで考えてないと思うけど…。

 

まとめ

児童小説そのものは好きなので空気感とかは好きなんだけどねえ。

 

終わり

小説『スタープレイヤー』

小説『スタープレイヤー』読みました。

恒川光太郎。読むのに時間掛かっちゃったことと、恒川光太郎に期待してた異界感ホラー感も弱かったので「どうかなあ」と思ってたけど、終盤のたたみ方とスケールの大きさや祈り願いが良かった。

 

あらすじ

かつて通り魔に襲われて足が不自由になり職も失い未来への希望を無くした34歳の元派遣社員。彼女が足を引き釣りながら麻婆茄子の素を袋に入れて帰宅していると、目の前に奇妙な人が現れくじ引きをさせられる。カランカランと出た一等の景品はなんとファンタジーのような異世界への転生とどんな願いでも10個叶える権利を持つ「スタープレイヤー」という力だった。

半信半疑だったが、説明を受けたり能力を使い宝石を散りばめた豪華な庭園などを作っていく内に信じるようになり、自分の身体も健康な絶世の美女へと形を変える。

そしてある日、ずっとひかかっていた「自分を襲ったやつは誰か」を確かめるために「自分を襲った人を牢獄に元の世界から呼び出す」という願いを叶える。

最初はそいつに自白させ恨みを晴らそうと思っていたが、精神的な病気を患っていてどうしようもなかったと切羽詰まった顔で言われたことで、虚しくなり犯人を元の世界に戻すことにまた願いを一つ使う。

彼女は寂しくなり男を呼ぼうかと脳裏をよぎるが、昔不倫をしたことがあり夫に逃げられた経験から、「他人を自分勝手にどうこうすることは出来ない」と知っていた。

ある日、他のスタープレイヤーから連絡が届いて、この世界には他にもスタープレイヤーがいること、土着の民族や国家があること、スタープレイヤーに元の世界から呼び出され仕方なくこちらで暮らすことになっているルーバンスと呼ばれる人たちが居ることを知る。

彼女はマキオというスタープレイヤーが族長となっているタワー村と交流をし、この世界がどうなっているのかを知っていく。

そしてその過程で近郊で最も大きな国、ラズナに挨拶に行くこととなる。

ラズナは隣国トレグと戦争状態にあり、流れ弾が飛んでこないように挨拶だけしておこうということだった。

しかしそこで出会った元の世界でのハリウッド俳優スカイレッド・クーガーこと元ラズナ国将校ラナログ・スウォードが反乱を起こしラズナを潰しトレグに寝返ったのである。

タワー村にやってきたラズナの王子からその事実を聞き、王子や難民を守るためにラナログ率いるトレグ軍と戦うことになる。

まずラナログは話し合いの余地を付けてきた。彼はスタープレイヤーのことを知っており、誰がスタープレイヤーかを探っていた。主人公は彼との話し合いの中で彼がここに来てから起こったことを聞いた。

彼はこちらの世界にある「フーリッシュサークル」というところに呼び出された。色んな元の世界の人間が呼び出され、愚王なるものの言うことを聞き学校に行ったり仕事をしたりとゆったり生活するように命じられた謎の街である。

そこでシンシアという女性に会いお互い恋に落ちたラナログ。しかしここが何で何のためにある場所かは分からない。

すると愚王の使者が現れる。彼は本当は使者ではなく、愚王の親戚でこちらの世界に来ており遊び相手を欲しがっていた。ゲームで遊ぶ内に仲良くなりフーリッシュサークルの成り立ちを知る。

実は大叔母はスタープレイヤーであり若返りシンシアとして「恋愛ゲーム」をするためにこのフーリッシュサークルを作った。そしてその攻略対象としてハリウッド俳優であるラナログが選ばれたのである。

ラナログはその事実を知り真実を探っていく内にシンシアを殺すしか無いことに至る。

しかし殺そうとしても曲がりなりにも愛した女性を手にかけられず見逃してしまう。

次の日目覚めると街は消えており「コレで満足?ばいばい」の置き手紙。

どうにか生き残るためにこの世界を彷徨い今に至るという。

交渉決裂した主人公たちとラナログ。ラナログが攻め込んでくる前に一連の戦闘で死んでしまった者たちを蘇生させたり巨大な街を作り鉄道を敷いたりし、襲撃に備える。

だがそうまでしても、主人公は奇襲に遭い仲間は殺されトレグ兵に幽閉される。

もう終わりかと思った瞬間、トレグ兵たちがバタバタと死んでいく。

ラズナの王子の友人である透明人間になった別のスタープレイヤーが助けてくれたのだ。

主人公はこの戦争を終らせるために、人を殺すのではなく示威行為として巨大な翡翠の迷路に敵兵を閉じ込め降伏するように促した。

戦況が逆転しラズナは統一され平和が訪れる。

そして主人公は最後の願いを戦闘で死んでしまった人たちの蘇生、あらゆる人の病気の回復、街の発展などに使う。

あと一つだけ願いが残っているが、彼女は「願いを取っておくこと」を願い、物語は幕を閉じる。

 

みたいな

数字は適当。

 

感想(前置き)

評論ではなく好き嫌いですので。

 

感想

恒川光太郎さんは多分書きながら考えるタイプで、そのライブ感で予想もしなかった遠くに連れて行ってもらえるのは好きなんだけど、ぶち抜くような一貫性があるかと言われればそうではなく、ちょっと後付っぽいので途中「これ何の話なんだろう?」と思って手が止まってました。ただ最後まで読んで振り返れば納得できるし「そう結論づけたのか」と思える。それに起きる出来事や取り返しのつかなさの割にかなり爽やかな読後感で良いんですよね。

 

何って、主人公が整形したこととか異世界に来たことを咎めないのよね。

元の世界に戻って現実と向き合う、というようなこともなく、異世界で生き直す。異世界がただの都合のいいだけの世界じゃなくしっかり社会があるからそんなに気にならないけど、その結末で爽やかな風を吹かせて終わるのは結構珍しい気がする。

道徳や倫理の話ではなく、個々人の幸福の話をしてるのが潔い。

結局「身体を美人に作り変えてるけどいいの?」「元の世界に帰らなくていいの?」なんて疑念は他者で傍観している「そこに居ない」自分が引っ張り出してきたお節介な倫理なので、人が生き幸せになるとはどういうことなのかって点ではどうでもいい。

どうでもいい中で人と人が暮らす社会でどうすれば良いか、なにをしてよくてなにをするのは忌避したいかっていうね…。

他の恒川光太郎の作品でも結構、根本の問題(今回だったら異世界転生)自体は解決されないけど幸せになるって話ちょこちょこあって面白い。

 

良かったのは、絶体絶命のピンチから救ってくれた人が「透明人間になる」という願いを叶えてたことと、その人の言う「何を叶えるかを人に聞くな。スタープレイヤーはすべてを変える。だからこそ自分で選んだことに使うべきだ」という文言。

まず主人公含めてみんな私利私欲だったり人を生き返らせるとか街を作るとかでかいことに使ってたので「透明人間」という願いに意表を突かれた。「もしも願いが叶うなら~」という小話では絶対に出る話だけど実際には誰もやらない。けど「本当の本当に自由だったなら」好きなことをやるんだ、って結論にも繋がっている

 

そして何でも出来るのに自衛のために兵器を呼び出そうとする人たちへの問い、「何でも出来るのに」。

それはスタープレイヤーだからというだけでなく、本当は私達「何でも出来るのに」他人を勝手に呼び出して恋愛ゲームをしたり、戦争したり、自力で作れるかも知れない街を作ったりする。

主人公は、だけどスタープレイヤーとして力を持ったものの責務として、民衆の莫大な願いを聞き入れ叶える。これがこの国の始まりとして、期待と光に満ちた未来の一歩目なるよう祈りを込めて…。

 

その町の名前が「麗和」なのが奇跡的で良いですね。たまたまだけど令和の英訳が「Beautiful Harmony」らしいから綺麗に掛かってる。祈り。

 

ここの願いを叶えるボタンを押す演出も良くて、「私の意志を超えた、数万人の大勢の人々の願いと希望を背負って」震える指で新しい国の始まりとしてのボタンを押す。というのが、個人がやることなんだけど一人の意思を超えて民衆の願いをってのがスケール感じて好き。エヴァとかさ、まどマギとかも最後世界を変える願いを放つでしょう?あれ好きなんだよね。

 

「そういう方向性なのね」と分かると序盤で主人公が復讐をしようとすることの意味や、フーリッシュサークルのエピソードがなんのためにあったか分かるので急に面白くなる。

復讐をしようとしても、もしかしたらゲスな相手にも悲しむ人はいるかも知れないし、何か未来を奪っているかも知れない。私利私欲のために何かをしても結局憎むべきゲス野郎と何も変わらないのでは?

だったら願いとは何のためにあるのか。幸福とはなにか。

 

フーリッシュサークルのエピソードがすごい好きで、単純に可愛い女の子にもてあそばれるのが好き(笑)

その女の子は齢80近いおばあちゃんなんだけど、ラナログからしたら「騙してるのは本当だよ。定期的に街の人を入れ変えて恋愛ゲームしてる。でもそれも飽きたから殺してくれていいよ?ほらナイフ握って」とかって言われてもふざけてからかわれてるようにしか見えないとか、すげえ良いんだよね。キャラが良い。殺そうとしても殺せなくて「あなた今一番良い顔してる」「人生で一番ときめいてるかも」と言ってきたり実際殺せなかったら「優しいもんね。期待通りで期待はずれ」とか言われるのはもう、性癖ですね、性癖。

その後のラナログ以外街ごとすべて消えて「これで満足?」の置き手紙。追伸で「じゃあどうすればよかったの?なにもない荒野に一人ぼっちだったんだよ?」って書かれている寂しさがまたね。

 

でも一人ぼっちだったからと言って私利私欲のために使ったって、結局怨恨しか残らないって方向になってるのも良かった。騙され利用されたラナログが「何でも叶える力」を嫌い恐れ憎み「夢は自分の力で叶えるもの。世界は知恵と勇気で切り開くもの」がかなり大事な台詞となったことが良い。後付だろうけどね。

 

諦めて仕方ないというのは魔法の言葉。心地の良い眠りのようなもの。

理想を叶えられるなら、仕方ないで済ませずに出来ることをやらなくちゃ。

 

どんな願いでも叶えられるという設定でここにたどり着くのが好きだな。スタープレイヤーだけじゃなくて、人々の生き様の話だよね。

 

他にもちょこちょこ好きなシーンや出来事はあるけど、きりないし性癖の話も多いのでこのへんで…。

 

終わり

 

映画『Ink』

映画『Ink』見ちゅあ

前半意味分からなくて、どうにかモードをちょっと難解なSF小説読んでる時のモードにして見て凌いでたら後半すごい好きだった。脳内補正がすごいから公平に行くと星3くらいかなあ、と思うが、俺の中の愛が「贔屓目で見て星4~5で良いんじゃない?」って言ってる。

 

あらすじ

現実世界とは少しズレた世界の住人である、人にいい夢を見せる人たちと悪い夢を見させる組織が敵対している。

ある時、悪い夢を見させる側の醜い顔をした男が、自分を組織の上層部に認めてもらい美しい姿になるために、ある家族の娘を誘拐し連れ去り、現実の娘は昏睡状態に陥る。娘の父は妻を愛していたが、妻が亡くなり酒に溺れ祖父母に娘の親権を取られていた。しかし娘が昏睡状態になったことでもう一度あってくれと祖父母に言われるが、「親権を剥奪したお前らに今更何も言われる筋合いはない。こちらは何十億という金を動かす仕事で忙しい」と突っぱねる。

一方では連れ去られた娘を助けるために、いい夢を見せる人たちが現実世界に干渉できる凄腕の仲間に手伝ってくれるように交渉し、父親にアプローチを仕掛けようとする。

そして娘を連れ去った醜い黒ずくめの男は、娘を引き連れながら上層部に娘を献上するためにいろんな世界を巡り、「コード」なるものを集める。その過程で、娘を助けようとした「語り部」と呼ばれる女性も引き連れていくことになる。

娘の父は、仕事をこなしながらも頭の中で家族のことを追憶する。貧乏でからかわれ恥ずかしく悔しい思いをした少年時代。それを取り戻すようにビジネスマンとして大金を動かすようになれた毎日。その中で出会った素敵な女性のこと。

いい夢を見させる人たちが娘と娘の父を救うために現実に干渉し、事故を起こし父親を娘の入院している病院に入れる。

黒ずくめの男は準備をすべて整え、美しい姿を得るためにとうとう上層部に娘を差し出す。上層部に殺されかけ虫の息となっている「語り部」は黒ずくめの男に「本当にコレで良いのか」と問いかける。

同時に目の覚めた娘の父はオフィスからの電話に逡巡する。同じ病院で眠っている娘の元に行くか、数十億の案件のために会社に戻るか。

黒ずくめの男は目の前で殺されかけている娘を見つめる。黒ずくめの男は思い出す。自分は娘を選ばず会社を選び後悔から酒に溺れ、醜い姿になりこの世界に落とされた、あの子の父であることを。

そして上層部に逆らい娘を助け出したことで、現実世界の父親も娘の病室へ駆け出し、娘は目を覚ます。

 

みたいな話だと思う。映画のまま書くと書きにくいからめちゃくちゃ改変してる。

 

感想(前置き)

自分の好き嫌いをはっきりさせるために書いてます。よしなに。

 

感想

とにかくね、ラスト、自分の嫌いな醜い姿を美しくするために何の罪もない女の子(娘)をチケットのように上層部に差し出して美しくなろうとするんだけど、「自分の醜さのためだけに女の子を犠牲にして良いのか?」と飛び出していくのが本当の本当に好き。

語り部(多分奥さん。俺が人の顔認識できないので分からんけど)に「あなたは醜くなんてない。とっても美しいわ」と言われる。魂とか人の在り方として、人が人を好きになるのは醜い整ってるとか、そんなことじゃなく、魂の美しさであるってのが良い。

自分のためじゃなくて相手のため、というか「自己満足」のために動くという情動がある、これだけで正直100点上げられるくらい好きです。

娘を差し出して美しい姿になっても、きっと心のなかでずっとそれは引っかかって、その美しさや富や名声があってもずっと心に風は吹く。それより醜いままでも娘を助けてあげることでニッコリ笑う。娘も最後に「パパだよね」って言ってくれる。この一連の流れがすごく良い。

 

それから、主人公である娘の父の、妻との出会いからの一連のエピソードもかなり好み。

まず主人公はめちゃくちゃ「金!金!金!」で動いていて、酒で無理やりごまかしながらずっと働いてて、そのせいで妻に「もう辞めましょう。家族はどうするの」とか問われるんだけど「俺は今デカい金を動かしてるんだ!」って家族がばらばらになるまでずっと仕事し続ける。でも実は子供の頃、主人公はすごい貧乏でクラスメイトにバカにされてたり、スーパーでお金を払うのに小銭で細かく払う姿を女の子に見られて恥ずかしかったりしてる。それがトラウマでお金にこだわってしまう。

このエピソードがすごく好きで、子供の頃の大したことではないのかも知れないけど、本人にとってはとても大きな事で、悔しくて恥ずかしくて、その反動で大人になって地位や名誉を手に入れ大事なことを失ってしまった人ってすごい好き。

そうして金は手に入れて子供の頃のトラウマを払拭できたはずなのに、どこか心が虚ろな毎日で妻と出会い、下らないけど満たされた日々、ひまわり畑を走り回るって映像もすごい好き。

子供が生まれて、あんまり子供好きじゃないから遊びに誘われても乗り気じゃなくて、けど娘がごっこ遊びしようと「モンスターに襲われてるの、助けて」と父親を見つめる。なかなか父親は乗ってくれなくてだんだん声の小さくなる娘。主人公は気落ちしていく娘を見てやけになって「わー!」とめちゃくちゃ乗ってあげる。すると娘はとっても楽しそうで…、ってこの話も好きだなあ。しかもこれが最後に黒ずくめが自分を思い出して上層部に逆らう時にフラッシュバックするのもすごく良い。見た目の美しさも大層な地位も、些細な問題なんだよ。

事故で妻が搬送される時に救急隊員に「必ず助かりますから離れてください」と言われてそばに居なかったこと。そのまま会えなくなってしまったことも、「なんで最後までいてやれなかったのか」「せめて彼女を看取れなかったのか」って悔しくて好き。

 

基本的に、主人公を取り巻く妻と娘の物語は全部好きだったし、「失うものばかりじゃないでしょう」というような最後の奮起、醜い自分になるか、自殺するような人生を選ぶかは「あなたが選べる」「そんな酒に溺れるような人生は選ばなくても良い」というメッセージもとっても好きです。

 

あとは設定がよく分からなかったけど、現実世界に居るけど現実じゃない(現実の人々に干渉できない・相手からは認識されない)というのが若干『都市と都市』を思い出して良かった。異世界感とか裏通り感、誰も知らない道を行く感じとかは好き。悪い奴らの顔の静止画を貼り付けてるデザインとかも良い。張り付いた悪い意味での「親しげ」な笑顔のメタファーなのかなと思ったり。

理想を言えばもう少し薄暗くて湿っぽい空気感のほうが好きだけど。

 

ただ俺が冒頭で言ったように、序盤マジで分かりにくくて、分かりにくいだけならまだしも主人公が誰か、主人公が何をしたいのか、誰が何をする話なのかってのが全くわからないので最初の方はマジで苦痛。設定も我慢してみたらどうにか理解できるけど結局黒ずくめが集めてた「コード」がなにかとか、良い奴らが何をしたくて戦ってるのか、リスクとリターンはなにかとか、そういうエンタメの部分が弱いので諸手を挙げて「面白い!」とは言えない。だけどいっぱい好きです。

 

まとめ

心に風の吹く男が自分のためじゃない自分が本当に大事にしたいことのために動いて心から笑えるようになる話はいいですねえ。やっぱり好きだなあ。

 

終わり